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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「ジダハラ」

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 世間では時短ハラスメント、略して「ジタハラ」というものが流行っているようだが、わたしの職場では「ジダハラ」にすっかり迷惑している。

 ジダハラの原因は、わたしと同じ職場で働く壇田踏彦という男である。踏彦はことあるごとに地団駄を踏む。その足音が、周囲をジリジリと苛つかせるのである。すでにおわかりだとは思うが、ジダハラとは「地団駄ハラスメント」の略である。

 厄介なのは、われわれ地団駄を踏み慣れていない人間にとって、いまだ地団駄という行為が未知の領域であるということだ。地団駄とは本来、怒りや悔しさから踏むものと思われている。だが踏彦の様子を観察した結果、わたしを含む周囲の同僚らの見解では、それは地団駄のうちのほんの一部でしかないということがわかってきた。 

 踏彦が生まれて初めて地団駄を踏んだのは、彼が二足歩行を習得するはるか以前、それどころか生まれた直後であると言われている。彼は産湯が熱いことに業を煮やし、浴槽内でさっそく元気に地団駄を踏んでみせたという。その結果、浴槽にひびが入って産湯が大量に漏れ出し、院内は大変なことになった。最初期においてはまだ、このように本来の怒りの感情が地団駄という形で表れていたようだ。

 その後の生育過程においても、母乳がぬるい、離乳食が不味い、食ったら眠い、歩くのが嫌だ、学校に行きたくない、ドッヂボールで当てられた、テストの成績が芳しくない、修学旅行で告白してフラれた等々、彼にとって地団駄とは、あくまでも不満や怒りを表明する手段でしかなかった。

 そんな踏彦の地団駄に転機が訪れたのは、中学一年のときであった。ある日、陸上部へ入部した彼が地団駄を踏む様子を初めて目撃した顧問の先生が、その地団駄に無限の可能性を見出したのである。このステップと、それにより鍛えられた踏み込みの力は、必ずや何かの競技に使えるに違いない。

 そう考えた顧問は、踏彦にまずは走り幅跳びをやるよう勧めた。踏彦はまだ自分の能力に気づいていなかったから、おとなしく顧問の指示に従って走り幅跳びの練習をはじめた。

 しかし顧問の予想に反して、踏彦は走り幅跳びでたいした記録は出せなかった。そこで顧問は考えた。地団駄を踏む角度と、走り幅跳びの踏切の角度は、ちょっと違うのかもしれないな。もうちょっと縦方向に地面を蹴る競技はなかったか。

 翌日から踏彦は、走り高跳びの練習をすることになった。それを見守る顧問の目から見ても、明らかにこちらのほうが、踏切時の動作は地団駄に近いものであるように思われた。

 だがいくら練習しても記録はまったく伸びなかった。顧問は改めて考えた。やはり地団駄と高跳びでは、リズムが全然違うのかもしれないな。もう少しリズミカルに踏み込む競技はなかったっけな。

 次の日から踏彦は、三段跳びの練習を命じられた。ホップ・ステップ・ジャンプ。この三連のリズムは、まさに地団駄そのものじゃあないか。顧問はそう確信していたが、これもやはり記録は平凡で期待はずれであった。

 そこで顧問は改めて、地団駄というものについて考えた。そこで思い至ったのは、これはもしかするとフィジカルではなく、メンタルの問題なのではないかということだった。地団駄とは、ただ肉体的に踏むものではなく、本来的にはあくまでも感情表現の手段であるはずだ。となれば、それを陸上競技に援用する際にもっとも足りないのは、その根っこにあるべき感情なのではないか。

 踏彦に本領を発揮させるには、とにかく彼を怒らせる必要がある。怒りにより彼の心の底からの、本気の地団駄を引き出さなければならない。そう結論づけた顧問は、翌日から踏彦をただ怒らせる目的で、理不尽なまでに冷たく当たった。

 結果、踏彦はまもなくして陸上部を退部した。顧問がとっても感じ悪かったからだ。

 帰宅部になった踏彦は、音楽に没頭した。そして出会ったある楽曲が、彼の地団駄を変えた。その曲が、彼の地団駄を怒りの感情から解き放ったと言ってもいい。クイーンの「ウィ・ウィル・ロック・ユー」である。

 この曲は地団駄をエンターテインメントに昇華している。踏彦は初めて聴いたときにそう直感した。その瞬間、彼の地団駄は怒りの感情からすっぱり切り離された。この日から、踏彦は笑顔で地団駄を踏めるようになった。

 それからの人生における踏彦の地団駄は、あらゆる感情とともにあった。昨年、踏彦には待望の長女が誕生したが、その出産に立ち会った際にも、彼は大いに歓喜の地団駄を踏んでみせたという。

 こうして踏彦は、あらゆる場面で地団駄を踏めるようになった。同じ職場で働く同僚としては、おかげで大変に迷惑している。怒っているときだけならまだしも、喜怒哀楽のいずれにも感情が動くたびにいちいち地団駄を踏まれては、周囲にいる人間はたまったものではない。地団駄と怒りの感情は、絶対に切り離してはいけないものだったのだ。

 本日もわれわれのフロアーは終始、廃線間際の鈍行列車のように揺れている。


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