泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『AWAKE』/SKILLET 『アウェイク』/スキレット

聴き手の評価基準を試すような、試金石あるいはリトマス試験紙的作品。

「オリジナリティと完成度、そのどちらをお前は選ぶというのか?」

前者を完全に放棄することで後者を高水準で達成した本作が問いかけてくるのは、そんな冷徹な質問だ。もちろんどちらかなんて選べなくて、「場合による」としか答えられないのだが。しかしそれにしても、この音楽は本当に微妙なライン上に乗っている。もし良いと思ったとしても、「これを認めていいのか?」という疑問はもちろん残る。だがそれは「良い」という優先すべき事実に免じて認めることにするとして、問題はこれがそこまで良いのかという話に当然なる。

プロデュースはMY CHEMICAL ROMANCEDAUGHTRYHOOBASTANKCREEDらを手掛ける大物ハワード・ベンソン。8枚目にして日本デビュー作。全米初登場2位。

音楽性は、帯タタキに「リンキン・パークに続くヘヴィ・ロック・シーンのニュー・ヒーロー」と書かれている通り…と、①を聴くと即座に納得しかけるのだが、それ以降の曲はそこまで似ているわけではない。かといって、それとは別の個性があるというわけでもない。とにかくあらゆる現代アメリカン・ヘヴィ・ロックの寄せ集めであり、その素材にはもちろん上記のハワード・ベンソン絡みのバンドも含まれる。

しかしだからといって、寄せ集めという性質自体をいまさら全否定する気は毛頭ない。重要なのは素材を選ぶ基準がどこにあるのかということで、クリエイターの中にその基準が存在すればそれは自ずと消化され、アウトプットする際には何らかの違う味が乗っかってくる。それをセンスというのかもしれない。だが本作から感じ取れるその基準とは、おそらくはバンド側にではなく、プロデューサーの中にある。

もちろん大衆音楽のプロデューサーというのは、市場のニーズを摂取することに長けている必要があるから、本作の基準はアメリカのロック・ファンの中にある、ということもできるかもしれない。それならばそれで、受け手に奉仕するポップ・ミュージックとして存在価値は充分にあると言えるだろう。しかしプロデューサーというのは、ただ市場の意志を収集するだけでなく、時にフィルターとして機能する。インプットする際にも、アウトプットする際にも、物事をかなり純化してシンプルにしようという意志が働くことが多い。その過程のなかで、聴き手の心の底で密かに脈打っている、まだ形になる寸前の要望のようなものはノイズとして処分されるし、アーティストの持っている、今のメインストリームからはみ出す個性のようなものも、同じく意図的に取り除かれる。

本当に優秀なプロデューサーというのは、そういった、まだ可能性でしかない何かを拾い上げ、それをしっかりとメインストリームに乗せてゆく人なのではないだろうか。もちろん売れる意志がないのならば、王道を意識する必要はないのだが。

とはいえハワードが手掛けたMY CHEMICAL ROMANCEDAUGHTRYの作品は素晴らしかったのだから、これはバンドとの相性の問題だったり、プロデューサーの意見をアーティスト側がどの程度まで信じて受け入れるか、というような「程度問題」だったりするのかもしれない。そういう意味で、このSKILLETは、素直に言うことを聞きすぎているということなのか。とにかくここには、彼らにしかない「可能性」というものが感じられない。

ライナーノーツには、日本の音楽市場でLINKIN PARKHOOBASTANKLOSTPROPHETSと同等に評価されてしかるべしと書かれているが、おそらく本作はその路線ではなく、DAUGHTRYBREAKING BENJAMINCREED系の、本国に比べてすこぶる過小評価されるタイプの音楽性のほうに、ギリギリではあるが分類されてしまうはずだ。個人的にはDAUGHTRYあたりは大好きなので、その路線の作品はもっと日本で評価されてほしいのだが、おそらくはかなり難しいだろう。日本市場で勝負するには、いくらか躍動感が足りない。

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