泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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【歌詞】「痩せずもがな~聴いてるだけで痩せる歌~」

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微動だにせぬぐうたらな日も 餌を求めるわがままボディ
今日から食わぬと言いながら 明日こそはと先送り
ぽっちゃりとデブの境界線 気づけば赤道より太い
カロリーちょっとのつもりでも 摂取したのはキロカロリー

キロは1000倍 器は満杯 卓に並べば けっきょく死体  
魚はすでに 死んでいる 死肉を喰らえば YouはShock
死体に群がる ゾンビども 屍だらけの 夕食会
そんな風に 思えたなら あなたを嫌いに なれたなら

消えよ果てなき食欲よ 目覚めよ満腹中枢よ
腹の虫らが騒いだら マイクを渡してやるがいい
言わずもがな 食わずもがな
痩せずもがな 死せずもがな

今日も近所のスーパーの レジで広げるマイバッグ
それを飲み込む胃袋は 猫の四次元ポケットか
ぽっちゃり自称はもう限界 Lサイズ服はち切れて 
XLの「X」が 匂わす無限の可能性

目指せ肛門 溶かせ胃袋 旅路の果ては 下へ下へ
逆算すれば 食う気も失せる 逆流すれば YouはSick
胃袋入れば なんでも同じ 午後には便通 麗しく
脂肪も水に 流せたなら あなたと離縁 できたなら

失せよ脂よ糖質よ ならば食わぬが先決よ
お腹と背中がくっついたら いったんもめんになればいい
言わずもがな 食わずもがな
痩せずもがな 死せずもがな

消えよ果てなき食欲よ 目覚めよ満腹中枢よ
腹の虫たち騒いだら 腹掻っ捌いて叫ぶがいい
言わずもがな 食わずもがな
痩せずもがな 死せずもがな
がなずもがな がなずもがな
がなずもがな がなずもがな

言語遊戯「俳句延長戦」

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これまで当ブログでは「ことわざ延長戦」と称して、ことわざに何かしらのフレーズを勝手につけ足すことで、ことあるごとにその力を無効化してきた。

tmykinoue.hatenablog.com

なぜそんな必要が?

それはさておき、ことわざの延長が可能ならば、ほかにも延長できるものなどいくらでもあるはずだ。だがどうせ台なしにするのならば、その元になるものには、もっともらしい権威のようなものがあればあるほど良いのではないか。

というわけで、ここは日本語文化の極みとも言える「俳句」の延長戦をやってみようと思う。ちょうど良いことに、俳句の五・七・五のリズムの先に七・七をつけ足してみると、自動的に短歌の響きを持つようになっている。つまりこれは俳句を短歌化する試みとも、言えるだろうか(というか、詠み手に連歌を吹っかけている状態?)。

しかしその主たる目的は、あくまでも元になる名句の効力を無効化することであって、たとえばそこから立ちのぼってくる風情をなくしたり、意味をなくしたりということである。

なぜそんな必要が?(繰り返し)

とか言ってみたところで、どうなることやらさっぱり見えないが、こういうときはとりあえずやってみることだ。物事をより良いものにする努力ならば、みなやっているだろうが、むしろ逆により悪くする努力を、ここにお見せしてみたいと思う。

なぜそんな必要が?(リターンズ)

では、不必要にはじめよう。


◆《柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
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 《柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺 燃ゆる三日月 亀田の種よ》

【解説】
元の句は、言わずと知れた正岡子規の名句である。

日常に起こったことを単に並べているだけなのに、なんとなく郷愁を感じさせるのが、やはりセンスというものか。

柿を食べたときに、ちょうど法隆寺の鐘がゴーンと鳴る。だがその柿というのが、もしも本物の柿ではなく、あのおせんべいの柿の種であったとしたら? 「燃ゆる三日月」とは、もちろん辛いそれことである。

そちらのほうが歩きながら食べやすいだろうが、実際にはポリポリ噛む音で、鐘の音はほとんど聞こえなくなるだろう。そうしてより近くにある雑音で相殺することにより、この句が本来持っている風情は、あっさり無効化されることになる。

そういう意味で、柿の天敵は、親類のふりをした柿の種であるのかもしれない。


◆《閑さや 岩にしみ入る 蝉の声》
     ↓
 《閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 目にしみるのは 蝉のしょんべん》

【解説】
原作は、松尾芭蕉の有名な句。

こちらもやはり「音」が鍵を握っているが、音よりも切実な問題が自分の身に迫っているとしたら、その要素を無視することはできないだろう。

ましてや、浴びせられたくないものを浴びせられているとなれば。

蝉という生き物のアイデンティティは、ポジティブに捉えればその鳴き声だが、ネガティブに捉えればところ構わず撒き散らされるあのしょんべんであるに違いない。

その両面にスポットを当てることで、前者の放つ風情を無効化することに成功した。


◆《夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡》
     ↓
 《夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡 よわものどもは 校舎裏かな》

【解説】
続けてこちらも、松尾芭蕉の句より。

ここで言う「兵=つわもの」というのは武士のことだが、これはその響きのとおり、特に「非常に強い武人」のことを指す言葉でもある。

だとすれば逆に、強くないうえに武士でもない者たちは、いったいどこに消えてしまったのか? ここで時間を一気に現代まで飛ばしてみると、そういう者たちはたいがい「つわもの」たちの命により、校舎裏に呼び出されていることが判明する。

詠まれている言葉の裏に隠された人々の状況を描くことによって、さらにはそれを勝手に現代版にアップデートすることによって、風情ある光景を単なる悲劇に貶めることが可能になった。


◆《古池や 蛙飛びこむ 水の音》
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 《古池や 蛙飛びこむ 水の音 されど耳には ノイズキャンセル》

【解説】
こちらも松尾芭蕉の句であり、やはり「音」が重要な役割を担っている。

だが現代の技術力をもってすれば、この程度の音など簡単に無きものにできるはずだ。「ノイズキャンセル」というのはもちろん、「ノイズキャンセリング機能つきイヤホン」のことである。

そうでなくとも、いまどきの人々はどこを歩くにもイヤホンをつけていることが多いため、水の音になど、なかなか気づくことはないだろう。

そういう意味では、音声とともに風情を無効化するつもりが、ここには現代人ならではの、新たなる悲哀が生まれてしまっているのかもしれない。

令和十大あけましておめでとうございます2022

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あけましておめでとうございます!(開かずの扉を金と権力で)

あけましておめでとうございます!(こんなとこにいるはずもないのに路地裏の窓を)

あけましておめでとうございます!(ミルクボーイがネタ冒頭で客席からもらった網戸を)

あけましておめでとうございます!(獲れたてホヤホヤのクワマンのセカンドバッグを)

あけましておめでとうございます!(中にカスタードクリームを注入するための穴をシュー皮に)

あけましておめでとうございます!(靴紐を結ぼうとしゃがんだ拍子にランドセルの蓋を)

あけましておめでとうございます!(イナバ物置に乗る101人目になってついにその天井に穴を)

あけましておめでとうございます!(マトリョーシカを開け続けた果てに出てきた最小大統領の頭蓋を無理に)

あけましておめでとうございます!(フラフラと後方からにじり寄る美川憲一のママチャリに道を)

あけましておめでとうございます!(他人の埋めたタイムカプセルをなんのためらいもなく)

そんなことより、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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