泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「脂肪動悸」

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 いつもの道を、歩いていた。天井裏かもしれない。天井裏だとしたら、頭がつっかえるはずだがそんなことはなかった。ならばそれは駅へと向かういつもの道だ。

 だけどねずみを見かけたような気がする。ねずみは天井裏にいるべきだ。いやどぶの中という可能性もある。なにしろどぶねずみというくらいだから。

 じゃあどぶねずみ以外のねずみはいったいどこにいるのか。天井裏ねずみというのは聞いたことがない。必ずしも名前に住んでいるエリアを明記する必要もない。ねずみの話をしたいわけではない。むしろまったく興味はない。路傍にもねずみはいる。ならばやはりいつもの道か。

 駅へと続く道。なぜ行き先を駅と言いきれるのか。山かもしれないし海かもしれない。どちらも特に好きではないしどちらに用事もない。駅は好きかと問われれば、これも特に好きではないが用事はある。あった。いやあったはずだ。なかったかもしれない。なかったとしたら行き先は駅ではない。

 私は無事に座ることができた。電車内の話だ。私はもうすっかり電車に乗っていた。やはり行き先は駅だったらしい。乗っているという事実から逆算すれば。しかし行き先が駅ということはない。駅が行き先なら電車には乗っていない。乗っているということは、駅ではなく列車が向かう先に行き先があるということだ。

 私はたしかに座っていた。よくきしむパイプ椅子に。目の前にはスーツ姿の人々がずらり。その中央にいるねずみ顔の男が口を開く。

「ではあなたが当社を志望した動機をお聞かせください」

 死亡した同期? 脂肪下動悸? しかしここは葬儀場でも病院でもなく、どこかの就職面接会場であるらしかった。終始揺られている感覚があったのは、電車の揺れではなくパイプ椅子の不安定さであったのか。それとも電車に運ばれたうえで、パイプ椅子の上に着地したとでもいうのか。 

「脂肪下の臓器の動悸をどうこうした結果、死亡した同期と同音異義の夢を叶えるためです!」

 私は何を言えばいいのかわからないので響きだけで言葉を羅列した。できるだけ元気良く。もしもそれがどんなに志望していた会社や業種であったとしても、何を言えばいいのかわかることはどうせないのでこれくらいが関の山だ。むしろ良くやったほうだ。志望する動機よりも死亡する動機のほうがよほどでっち上げやすい。

 こうして私は計器屋に就職した。今は主に体脂肪計を売っている。死亡した同期の夢はもちろんケーキ屋だった。それもこれも、万が一死亡した同期がいればだが。確かなことはただひとつ。脂肪下に感じている動悸ただそれだけだ。

世界十大あけましておめでとうございます2021

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あけましておめでとうございます!(ビンゴカードの呼ばれてもない数字を)

あけましておめでとうございます!(自動ドアを手動で)

あけましておめでとうございます!(開かずの金庫をバールのようなもので)

あけましておめでとうございます!(前代未聞の不祥事で舞台に穴を)

あけましておめでとうございます!(落とし穴を掘ってる人の後ろにそいつのための落とし穴を)

あけましておめでとうございます!(賞味期限の切れた缶詰の蓋を)

あけましておめでとうございます!(腹話術師の声にあわせて開閉式ドームの天井を)

あけましておめでとうございます!(嵌め殺しの天窓を拳で)

あけましておめでとうございます!(ディフェンスラインの背後に広大なスペースを)

あけましておめでとうございます!(喫茶店のドアをけっしてカランコロン鳴らすことなく)

今年も今年は今年こそよろしくお願いいたします!

短篇小説「坂道の果て」

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 大学受験当日の朝、満員電車から予定通りスムーズに脱出した嶋次郎は、受験会場である志望校へと続く坂道を歩いていた。右へ左へうねりながら延々と続くその登り坂は、まるでこの一年間の道のりのようだなと思いながら。

 だが嶋次郎がこの道を辿るのは初めてではない。それは彼が浪人しているという意味ではなく、彼は何度もこの道を実際に通ったことがあるということだ。

 嶋次郎は予行演習と称して、受験前に何度も志望校への道をその足で確認していた。もちろん当日と同じ時間帯の同じ電車に乗り、同じ道のりを歩いて。それが勉強をサボるちょうどいい理由になっていたことも否めないが、そこは「息抜き」と心の中で都合よく言い換えてみたりして。

 受験へと向かう嶋次郎の足取りの確かさは、間違いなくそれら数多の予行演習によって支えられていた。道すがら、今さらスマホで地図を確認している受験生を見つけるたび、嶋次郎は勝利への確信を深めるのだった。おいそこのキミ、テスト中にスマホで解答を調べることなどできないのだぞ、とでも言ってやりたい気持ちをグッと抑えて。

 予定通り駅から十五分ほど歩いたところで、嶋次郎はいよいよ緊張感が高まってくるのを感じた。いよいよこの一年間の、いやこれまで送ってきた人生十八年間の、総決算とも言うべき一大決戦がはじまるのだ。

 視線の先に、いよいよ坂道の終わりが見えてくる。つまりそこが山の頂であり受験勉強のゴールであるということだ。数十メートル先に大きな入場門があり、そこから長い行列が伸びている。嶋次郎はその最後尾についた。もちろん混雑を見越してかなり早めに家を出ているから、時間にはまだまだ余裕がある。

 十分ほど待たされたのち、いよいよ門前まで辿りついたところで、嶋次郎は門番たる係員に声を掛けられる。嶋次郎がすぐさまポケットから取り出した受験票を見せると、係員は静かに首を横に振り、脇にあるもうひとつ別の列へと並ぶよう促される。見るからに反論の余地はなく、嶋次郎はそちらの列へと並び直す。

 その行列でさらに五分ほど待つとポツポツ穴の開いた受付窓口が現れ、あなたが大人であるのか学生であるのか子供であるのか、そして何人で来ているのかと窓越しに女性スタッフから問いかけられる。嶋次郎が素直に自分が学生であり一人で来ていることを伝えると、「六百円です」と言われたので千円札を渡して釣りとチケットを受け取った。

 受験料ならばすでに支払っているはずだし、受験料にしては安すぎると嶋次郎は思った。受験票だってちゃんと家から持って来ているのに、新たにチケットも渡された。

 嶋次郎は再び最初の列に並び直し、いま一度門にいる先ほどの係員に入手したばかりのチケットを見せると、今度はすんなりと中に入れてもらうことができた。

 場内へ入ると思いのほか緊張感はなく、予想外にリラックスしたムードが漂っていた。ついでに獣たちの臭いも漂っていた。

 さて、いざ中に入ったはいいが、では何から見るべきだろうか。やはりレアなパンダは是非とも見たいところだが、パンダの周囲には人だかりができていて、なかなか見られそうにない。かといって猿やキリンはありきたりだから、強そうな虎あたりから見てみようか。そして夕方になって人が減ってきたあたりで、パンダの様子を見に来よう。うん、それがいい。

 嶋次郎が動物園を誰よりも満喫して帰ったことは、言うまでもない。

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