泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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ラーメン小袋攻城戦

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僕らは相も変わらず「マジックカット」に翻弄されている。あの切れ目がないのに不思議と切れるマジカルな彼奴に。

今日作ったカップ緬には三種類の小袋が入っていた。それが見事に(そして無駄に)三者三様で。

第一の袋は、天地(上下)がギザギザになっているもの。これは特にどこから切れという指示はないが、上か下のギザギザから好きな場所を選んでその谷間から切れば良い。これをわざわざ下からまくり上げるのは相当な曲者だから、通常は上だろう。

第二の袋は、上下左右ともにフラットな仕上がりで、右サイドにのみ「マジックカット」と表記してある。これもまあ、手が濡れていたりする場合に若干の不安はあるものの、右断面であればどこからでも切れるという意図はわかる。

問題は第三の袋である。第三の袋は、天地にギザギザが施されている。私は即座に、上下に裂けば良いのだと思い袋に手をかけた。しかし引きちぎろうと力を込めた刹那、右サイドのフラットな断面付近に「マジックカット」と記されてあるのが視野に飛び込んできた。なんということでしょう。

この思わせぶりな表記により、事態は一気に混迷する。これは明らかにユーザーを試す陽動作戦である。戦国時代の城攻めは、正門から攻めるか搦手門から攻めるかで勝敗が大きく変わるのである。カップ麺の小袋とは、すなわち城である。この三つの「城」をすべて落とさなければ、カップ麺という「国」を手に入れることなど叶わない。「天下布武」など夢のまた夢だ。

この第三の袋は、構造的に見ればいわば第一の袋と第二の袋のハイブリッド種なのであった。いったいなんのために? これは史上最も無駄な足し算のひとつとして記憶されるべき事象である。

「いまだマジックカットに馴染んでいない人のために」という意味で、親切心から保険としてギザギザ面も設けておいたのだろうか。だとしたら、むしろマジックカット面こそ要らないだろう。そもそもギザギザさんの方が遥かにパイセンなのだから。前髪ちょろりの「ギザギザハートの子守唄」は、マジックカットにこそ聴かせるべきだ。

第三の袋に設けられた、三面切り口という罠。敵はすっかり籠城を決め込んでいる。上ギザ、下ギザ、右マジカ。私がどこから攻城戦を仕掛けたのかは、意味なく想像におまかせしたい水死体。難攻不落の小田原城改め小袋城へ、単身丸腰で乗り込む黒田官兵衛の心持ちで……。


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言語遊戯「ことわざ延長戦」第3戦

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「こと」ばの「わざ」というよりは、「こと」ばを「わざ」と使いにくい形にしてしまっているであろうことわざ「ちょい足し実験」も第3弾。

前回までは、わりと上手いこといってやろう、という意欲がそれなりに見られたけれど、こうやって続けていくと徐々に脱力していくもので、別に上手いとかどうでもいいし、いやむしろ上手いとか格好悪いし、という妙なモードに入ってきて、個人的にはこうなってからのほうが好みなのだが、ことわざとしての使いにくさは確実に増しているように思う。では。


◆《果報は寝て待て》
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 《果報は寝て待てそのまま寝過ごせ》

【意味】グッド・ニュースは寝て待つのが良いとされているが、懸命に努力している人からするとたまったものではない。

【解説】童話「ウサギとカメ」におけるカメの強い気持ちを代弁。居眠りしているウサギを起こさずにしれっと追い抜いていったカメにも、このような邪悪さはあったと思われる。


◆《不幸中の幸い》
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 《不幸中の幸い中の大不幸》

【意味】不幸な出来事の中にも救いはあるものだが、その救いの中にさらなる不幸が隠れている場合もあるからけっして油断してはならない。

【解説】もはや何が幸せなのか? 不幸というものは探せばいくらでもある。だが幸せもまたそうなのかもしれない。


◆《石橋を叩いて渡る》
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 《石橋を叩いて渡るよWe Will Rock Youのリズムで》

【意味】名曲は意外なきっかけから生まれるものだ。

【解説】どうせ叩くならば心地好いリズムであるほうが良く、ならばそこから名曲が誕生してもおかしくはないだろう。ちなみにここには、「石=Rock」という呼応関係も隠されている。


◆《餅は餅屋》
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 《餅は餅屋! でもあのお店、餅しか売ってなくて経営は大丈夫かしら?》

【意味】物事は専門家に頼むのが良いが、専門店はどこも経営が苦しそうなので、そこそこ手広くやったほうが良い。

【解説】特に糖質制限ダイエット全盛の今となっては。


◆《類は友を呼ぶ》
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 《類は友を呼ぶ、酒は類を呼ぶ》

【意味】吉田類なら酒場にいるよ。

【解説】えーっと、ことわざってなんでしたっけ?


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言語遊戯「ことわざ延長戦」第2戦

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前回が好評であるという思い込みに基づき、ことわざの後にフレーズを足してみたらどうなるか、ということわざ「ちょい足し実験」の第2弾をお送りしたい。

こうなるといくらでもやりようはあるような気がしてきた。意味など、無理やりこねくり回していれば何かしらの味は出てくるものであるなあ(詠嘆)。


◆《他山の石》
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 《他山の石、自山の泥》

【意味】他人の酷い言動を反面教師にしようと思って自分を見つめ直してみたら、己の言動のほうがはるかに酷い様子。

【解説】「人のふり見て我がふり直せ」とは言い条、自分と相手のレベルがあまりにもかけ離れている場合、まったく参考にならないケースも多い。我々がZOZOの前澤社長の振る舞いから学ぶことは何もない。それ以前の、自分にとってはるか手前にある問題=泥を片づけるほうが重要である。


◆《木を見て森を見ず》
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 《木を見て森を見ず大林が見える》

【意味】視野の狭い人にも、極端に大きいものならば自然と目に入るものである。

【解説】「大林」とはもちろん「大林素子」である。「大きいことはいいことだ」という往年のキャッチコピーを思い出す。「大林」という苗字は、林にしては大きすぎるのでもう「森」でいいのではないかと思う。


◆《病は気から》
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 《病は気から、仮病は親から》

【意味】病気は気持ち次第だが、仮病で学校を休めるかどうかは親次第である。敵を欺くにはまず味方から。

【解説】仮病で学校を休む際、自分で学校に電話をするのは非常にリスクが大きく、高レベルの演技力が要求される。なので仮病を使う時には、親から学校に連絡してもらうのが良い。そのためにはまず親を説得する必要があるが、教師に比べると親は子に甘いため、多少未熟な縁起でも騙し通せるか、あるいはバレていても許してもらえる可能性が高い。その際に主張する症状は、病院に連れて行かれないレベルにとどめておくよう気をつけたい。


◆《仏の顔も三度》
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 《仏の顔も三度、大木の顔も凡人》

【意味】無法なことも三度までしか許されない、というのがもはや当然であるように、大木凡人の顔は当然凡人であるに決まっている。転じて、当たり前のこと。

【解説】単に響きが良いというだけで意味はすこぶる薄い。完全にこじつけである。


◆《良薬は口に苦し》
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 《良薬は口に苦し悪役は虫を逃がし》

【意味】効く薬ほど苦いように、怖い人ほど優しいものだ。

【解説】「逆説×逆説」により逆説を強化するパターン。青汁のCMを悪役商会の親玉である八名信夫がやっていたという事実は、まさにこのことわざを体現していると言える。


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