泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

捨てる神に拾う神、その他の神も様々にあり

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「捨てる神あれば拾う神あり」とことわざにあるが、むろん両者の数が同じであるとは限らない。事実、近年は「拾う神」の減少(少神化)が叫ばれている。捨てて身軽になる神ばかり多くて、「拾う神」はいつも両手いっぱいに人間を抱えて歩いている。これではますます「拾う神」になりたがる者が減るのは、当然のなりゆきと言うほかない。

ちなみにことわざには「捨てる神」と「拾う神」しか出てこないが、当然そのあいだにも中間業者的な神々が存在している。神の世界は意外とお役所的な縦割りで、役割分担が細かいのである。

何事につけ「エコ」な世の中である。まず「捨てる神」は人を捨てる際に、当然それらを分別した上でしかるべき場所に運んで捨てなければならない。つまりそこには「分別する神」と「運ぶ神」がいる。その際、分別がわかりやすいように「捨てられ人(びと)」にはカラフルなステッカーを貼ることになっているから、「ステッカーを発注する神」「ステッカーをデザインする神」「ステッカーを印刷する神」「ステッカーを検品する神」「ステッカーを貼る神」「ステッカーを貼り直す神」などステッカー関連の神は意外と多い。

「分別する神」が慎重に分別した結果、「捨てられ人」の中にはまだまだ再利用可能と認められ、緑色の「リサイクルステッカー」を貼られる人もいる。その場合は「磨く神」の元へと送られ、各種ヤスリで徹底的に磨かれる。その後はもちろん、「洗う神」「拭く神」「乾かす神」「保湿クリームを塗る神」らによって丁寧に再利用できる状態にまで仕上げられることになる。ネットオークションや『HUMAN OFF』で売られている「捨てられ人」の多くは、このようなプロセスを経て出品される。

「拾う神」は人をただ拾うだけだから、今となっては「拾う神」に拾われるよりも、こうして各種神々によって再生され売りに出されたほうが、結果として世のため人のためになり幸せをつかめる、との意見も出はじめている。数が不足している「拾う神」はただでさえ個々に多くの案件を抱えているため、拾った人々のメンテや売り出しに時間を割く暇など皆無なのである。

かくして「拾う神」の一般的評価は下落し、なり手も減少するという悪循環が生まれている。しかしそれは同時に、全体のリサイクル化が進んだ結果として、「捨てられ人」の多くが「拾う神」に拾われる前に救われているということを意味する。

一方でいま神界に起こっている本当の問題は、むしろリサイクルの過程で中間的な神々が乱立しているという「多神化」のほうである。世間では、ことわざで著名な「拾う神」の減少による「少神化」が話題となっているが、その裏では先に挙げたような「ステッカーを貼り直す神」や「保湿クリームを塗る神」などの中間業者たちがとんでもない勢いで増殖しているのである。そしてそんな中間的な神々の多くは、非正規の神である。

これが誰もが軽々しく口にする、ことわざの現状である。激動の時代を迎えた捨てる神と拾う神の周辺から、しばらく目が離せそうにない。

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