泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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メルマガを読まぬ人、食わぬヤギ

そもそも我々はメルマガに何を求めているのか。

受け手とはわがままなもので、情報オンリーの羅列系メルマガが届くと、「面白くない!」とその工夫のなさに不満を抱き、面白さを目指すあまり妙に書き手の人格を前面に出した入魂のメルマガが来ると、「あんたの話より私の求めてる情報をピンポイントでよこせ!」となる。「『おもしろくて、ためになる』出版を」というのは講談社のスローガンで、80年代には「おもしろまじめに4チャンネル」なんて日テレのキャッチコピーもあったが、昔からあらゆるコンテンツはその面白さと情報価値のあいだを右往左往しているものだ。

と、問題をメルマガに限らずコンテンツ全体に敷衍してスケール感を演出してみたところで、今度は核となるデータの出番である。ディレクタスという会社が「メールマガジン購読実態調査」を行った結果がこちら。

【メルマガを読まない理由1位は「配信本数が多すぎる」】
http://markezine.jp/article/detail/16764

読まないメルマガを「ゴミ箱フォルダに移している」のは当然として(他に何か個性的な捨て方があるのか? 屋根の上に放り投げるとか?)、「読まない理由」の上位3つに、これもまた意外というわけではないが注目する必要がある。「読まない理由」の1位が「受信する本数が多すぎる」(43.1%)、2位が「内容が面白くない」(34.6%)、3位が「自分が欲しい情報が送られてこない」(34.0%)となっていて、どうも数字的には1位が飛び抜けているように見えるが、だからといって送り手は単純に、「ああ、じゃあ本数を控えめにすればいいのか」と考えてはいけない。実は1位の回答は、2位と3位の答えを根拠に成立しているからだ。

つまり2位と3位の問題が解決すれば、1位は問題にならない。いやそれどころかむしろ、1位の回答は逆になるかもしれない。簡単に言ってしまえば、「内容が面白い」か「自分の欲しい情報が満載」のメルマガであれば、「受信する本数が多くても困らない」し、あるいはむしろ、「受信する本数をもっと増やしたい」とすら思うのではないかということだ。1位の「受信する本数が多すぎる」と思うのは、2位3位が訴えている「つまらなくて欲しい情報がないメルマガ」の本数のことであって、1位の問題を解決するには、1位の問題に直接対処するのではなく2位3位の問題を解決するしかない、という構造になっている。

この「面白さ」や「情報価値」と本数の間に存在する関係は、Twitterやブログを考えてみるとわかりやすいかもしれない。たとえばTwitterでつぶやきを連投した場合、不思議なことにフォロワーが大幅に減る場合と大幅に増える場合の両方があって(もちろん何も起こらぬ無風状態もある)、それは受け手にしてみれば「面白いか役に立つかのつぶやきならば連投歓迎」だが、「つまらない、あるいは自分が興味のない話題ならば連投は迷惑」と感じているからだと思われる。もちろん、「そんなのは狭量すぎる」というのは間違いないが、実際のところ少なからずそう感じてしまうことは否定できないだろう。つぶやきというのが送り手の細部を拡大する機能を持つ以上、小さな差異が際立ってしまうのは、むしろシステム的な特徴とも言える。

一方でブログの場合にも、一時期有名人のブログがやたらと更新頻度を競っていたように、受け手は内容よりも回数を欲しがっているというのも事実で、この場合は「面白さ」と「情報価値」のさらに根っこの部分に「有名人である」という要素が来る。有名人の発言や写真が載っていれば、それがいかにつまらない内容でも、特定のファンにとっては「面白さ」と「情報価値」が自動的に生まれているわけで、こうなると元も子もないが「有名人である」ということが「受信する本数が多すぎる」という問題を一気に解決し、「受信する本数が多ければ多いほどいい」という境地へと連れていってしまう。

となると結局、身も蓋もない「有名人最強説」という突き当たりにぶつかってしまうのでこれはまあ別として、基本的に受け手が欲しがっている内容であれば、「受信する本数が多すぎる」という1位の問題はないのではないか、ということだ。

で、内容の充実となるともちろん2位3位、つまり「面白さ」と「情報価値」が必要になってくるのだが、じゃあその両方が入っている「おもしろくて、ためになる」もの、「おもしろまじめ」なものはさらにいいのかというと、実はそうでもないという現状があるような気がする。そこは「混ぜないで別々にしてほしい」というのが、どういうわけかネット上の空気としてあって、だからブログなんかも専門性の高いもののほうが人気が高いケースが多く、それこそ「有名人でもなければジャンルを絞った方が賢明だ」なんてことが定説になっている。「情報価値」のあるものを読みたい人は「情報価値」意外の「面白さ」の部分を夾雑物として読み飛ばし、逆に「面白さ」を求める人はその中に混じる「情報価値」を嫌らしさと感じて幻滅する、なんてことが、どうやら頻繁に起こっている。

しかし「泣くために観る泣けるだけの映画」が薄っぺらく、「健康にいいだけの食べ物」が味気ないように、「想定していた通りの効果が得られる」というだけのものは、大げさにいえば人生を豊かにしない(控えめにいえばつまらない)。とんでもない悪ふざけの中から価値のある情報を得たり、生真面目な議論の中に突拍子もない角度から面白味を見出したりというような、そんな違和感の中にこそ固有の面白さや味わい豊かな情報価値があると体験的に思うのだが、あらゆるものが検索向けにカスタマイズされたネット上の分類社会の中では、なかなかそういう入り組んだ面白さや情報に辿りつくのが難しいのもまた事実。

特にメルマガはもともと商品情報系のものが多いから、その羅列されたプレーンな情報のあいまにところどころ想定外の面白さが挟まっていたとしても、そこをわざわざ拾うような読み方はなかなかできるものではない。構えた位置と逆方向に来た変化球を捉えるのは結構難しいし、よっこらしょと一歩踏み込む労力がいる。内角高めの剛速球を想定していたら、外角低めのスライダーにはなかなか手が出ない。理想的にはやっぱり「面白さ」と「情報価値」が両立したものを読みたいけど、とはいえメルマガを「真剣に隅々まで読むもの」と認識している人はまだ少ないだろう。今回のデータから考えても、必要な情報だけ拾い読みする、あるいは読む価値もないと思っている人が多いはずで、現時点では「情報価値」の精度を上げていくという選択肢しか、読ませるための工夫はしようがないのかもしれない。

ただしもちろん、読ませることがゴールではないのもまた事実。その先には「購買意欲を掻きたてる」とか、「次のメルマガも読ませる」とか、送り手側それぞれが求める結果や課題があるはずで、そうなると結局は「情報価値」だけでなく、「面白さ」が必要不可欠になるのではないか。そんなことを言うと、「なんだよ、結局『質』かよ!」となりそうだが、どこの世界であれものごとは「質」で判断されるのが一番いいに決まっていて、少なくとも「配信本数を減らす」だけでは何の解決にもならないだろう。

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