泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『キングオブコント2010』感想

全体の印象としては、「大阪的なベタでかぶせの多い笑いが不利で、設定に新鮮味のあるネタが強い」。

それには審査員が現役の芸人であるということも大きく作用していて、つまりは芸人たちがいまネタ作りにおいて最も苦労を感じている部分が、中身のディテールよりも外枠の設定であるということを反映しているように思う。コントという自由度の高い設定であるからこそ、審査する側にも、「型」に対する強い意識がある。

あとこれは、漫画や小説など他ジャンルに関してもそうなのだが、作り手が評価する側に回った場合、「古さ」に対する拒否反応と、「新しさ」に対する積極的な評価が見られる。これもまさに審査員自身が、作り手として「古さ」をこそ最も怖れているからで、すでに地位を確立している大御所芸人であればそういった「古さ」への恐怖感は少ないが、まだ安定した評価を受け取っていない人たちは、何よりも置いてけぼりをくらうことを怖れるもの。これは良い悪いの問題ではなく、今回の審査結果にも、そういった「現役の作り手が審査をする」という体制の持つ特徴が、ハッキリと表れていた。

【TKO】
一本目はひとつひとつのボケのスケールが小さく、小さいズレを数多く並べてきた感じで、安定感はあるが突出した部分はなかった。

二本目は「歌をいい加減に歌う」というのが、個人的には予想範囲内での「いい加減さ」だったのだが、それがコントという枠組みから考えるとかなり自由な演技に見えた部分もあって、そこらへんのはみ出し具合が高評価を生んだのだろうか。

全体に一個一個のボケをきっちり拾っていく姿勢が、ベテランの安定感と古さの両方へとつながっていた。

【ロッチ】
一本目はネタ選びに失敗したと思う。もっと良いネタを多く持っている人たちなのだが、短い時間設定とわかりやすさを重視したためか、関西的なベタな会話が中心で、閉じたものになってしまった。ロッチの武器である中岡の微妙な表情の変化はあまり見られず、リアクションの応酬が明確すぎて、ちょっと不完全燃焼な印象。

二本目は『レッドシアター』でもやっていた鉄板ネタで、間違いなくウケていたのだが、低い点数に驚いた。直前にやったTKOに得点をあげすぎたため、審査員全体が明らかに自重した感じで、笑いの量と得点がまったく比例していなかった。ひとりが一点ずつ控えめにつけたら、全体で100点下がってしまう。そういう不運な流れがあったように感じた。

あと、ネタ自体も『レッドカーペット』でやったときに比べると、明らかに短く編集され尻切れに終わる形になっていて、入りの好調さに比べると、急ぎ足なラストの展開に物足りなさが残った。面白さの肝であるところの、店長の「徐々に調子に乗っていく感じ」と、中岡の「いつの間にか褒め方を習得していき、グングン褒め能力が開花していく感じ」が、いずれも唐突な感じになってしまい、途中の微妙な段階の面白さが出せていなかったのが、ちょっともったいなかった。

しかしネタ自体はかなりクオリティが高いものなので、900点前後出てもおかしくなかったはず。

ロッチに関しては、中岡の、複数の感情を同時に映し出す微妙な表情が最大の魅力だと思っているので、そのニュアンスを最大限生かすには、今の形だと長尺コントのほうが適しているのかもしれない。

【ピース】
一本目は設定がわかりづらく、前半はベタだが後半にかけて一気に盛り上がっていく展開。中盤、「つまりは綾部の熟女趣味なのだ」とわかってから一気に面白くなるが、前半の立ち上がりの悪さが気になった。

そこで二本目はどう立ち上げてくるのかと構えていたら、ぶっ飛んだファンタジー設定で有無を言わせず強引に立ち上がらせられた。そうか、一本目に足りなかったのは、「設定のわかりにくさをわかりやすく説明する手順」ではなく、「設定のわかりにくさを越えたわけのわからなさ」だったのだと気づく。

これは実はあらゆるエンターテインメントにとって重要な問題で、「わかりにくいから、わかりやすくする」という親切心よりも、「わかりにくいから、もっとわけわからなくして、わからなさを気にならなくする」という不親切心のほうが質の向上につながることが結構ある。要は強度の問題で、インパクトが「わからなさ」を越える強度を持てば面白さは伝わる、ということだろうか。

一本目が現実(綾部)×ファンタジー(又吉)というキャラ設定だったのに対し、二本目はファンタジー(綾部)×ファンタジー(綾部)という完全なファンタジー設定。

ピースの魅力として、又吉の文学性が重要なのは間違いがないが、その文学性は、一本目のような私小説的な日常設定よりも、漫画的な二本目の非日常設定のほうが生きるというのが面白い。笑いの裏に妙なツンデレ的優しさがチラチラ見えるのがまた新鮮で、そこは綾部の演技力によるところが大きいと思う。

二本目は、今回の最高得点に相応しい圧倒的なインパクトを持っていた。

キングオブコメディ
基本的にネタのパターンは決まっていて、それぞれのネタのクオリティにも恐ろしくブレがない人たちなので、あとはそれを本番の舞台で何割方再現できるかどうか、という状態だったように思うが、多少の緊張は感じられたにせよ、間違いのない安定感で二本揃えてきたのはさすが。

手数も多くボケもツッコミも精度が高いのだが、唯一の問題はその方向性とリズムにブレがなさすぎることで、そこが芸人審査員たちにどう評価されるのかが少し気がかりだったが、クオリティできっちりねじ伏せてきた。

「型」という意味では、コントの設定というよりは、今野のキャラが常に型からはみ出し続けられるかどうかが彼らの勝負どころであり、そういう意味ではどのコントがというより、彼らのスタイル自体が新しい「型」であると言えるかもしれない。新しい「型」というのは、なにも設定だけでなく、キャラクターでも示すことができるという好例。

二本トータルのクオリティに対する評価として、文句なく納得のできる優勝だった。

ジャルジャル
とにかく言葉や仕草に対するこだわりが強く、それが強度にもなるし、アクの強さにもなる。設定時間の短さを前提にした、割り切ったようなミニマルなネタを二本揃えてきた姿勢は潔いが、ちょっと少ない素材でゴリ押ししすぎた感も。

「これだけ少しの素材でこんなにおいしい料理を」と感心するか、「これだけ料理できるんだったらもっといろいろ素材使いなよ」と思うかどうかで評価が分かれたような気が。

個人的には両方の思いが交互に浮かび上がってくる感触で、点数が高くても低くても納得がいかないような微妙な気持ちになった。自信を持って評価を下すのが難しいタイプのネタなので、審査員の人数が多ければ多いほど、安定した評価を得るのは難しくなるかもしれない。繰り返しの部分よりも、そこからはみ出したところがいちいち面白いという点に、素材を選ばない実力を感じる。

エレキコミック
いま最も面白い番組は『エレ片のコント太郎』(ラジオ)だと思っているので、そこでのフリートークの圧倒的面白さがどうネタに結びつくのかを興味深く観ていたのだが、そこをつなげるのは当然だがやはり難しいということを痛感。

今回の決勝出場者の中で、おそらくは最も設定とキャラをきっちり作り込んでいるのは彼らだと思うのだが、その作られた感じが、どうも二人の本来の魅力を伝える妨げになっているのではないか。

しかしこの最下位という結果が、次回のラジオを面白くしてくれるのもまた間違いないので、中途半端な結果よりは良かったと勝手に思っている。

「型」にはめることの難しさと重要性を、今回改めて感じた。伝えるために「型」は必要不可欠なのだが、そこからはみ出した部分こそが面白い。となると、「適度にはみ出せる型」を作らないといけないのだが、そもそも「型」というのははみ出さなくするために作るものなので、そこには根本的な矛盾があって本当に難しい。

ラバーガール
ただ一組、落ち着いたテンションで異彩を放っていたが、小ネタを連続させることが全体の盛り上がりにつながっていきにくいスタイルで、瞬間瞬間の笑いは結構あるが、積み重なっていく快感があまりなく、スケール感が物足りない。

一本目と二本目を比べると、テンションの低い一本目のほうが面白く、テンションを上げてきた二本目はちょっと無理をしているような感じを受けた。

【しずる】
一本目はワンワードで押していく展開が見事で、非常に完成度が高くインパクトも強かった。一本目の中ではこれがトップでもおかしくなかった。

二本目は同じくひとことのゴリ押しなのだが、これが「ゴリ押し」と感じられたのは、一本目に比べてそのワードが「一般的に面白い」言葉すぎて弱いからで、一本目が素晴らしかっただけに、その差がネタのクオリティへとモロに直結してしまっていた。

それに加え、一本目に関しては、「相手の先を読んでいる」という面白さが緊張感を生んでいたのだが、二本目にはそういうプラスアルファの要素が見当たらず、キーワードの繰り返しに終始してしまっていた。要素がひとつ減ったぶん、単純に何かが足りない感じを受けた。

二本揃えることの難しさを改めて痛感。そういう意味でも、キングオブコメディの優勝は順当な結果だったと思う。

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