泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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とんがりコーンのとんがらせかた

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とんがりコーンをとんがらせるのがいかに大変かという事実は、意外と知られていない。

多くの人は、とんがりコーンが生まれつきとんがっていると思い込んでいることだろう。だがそれは大いなる勘違いである。生まれつきとんがっている不良がいないように、生まれつきとんがっている不良コーンもいない。生まれたときには誰しも、純真無垢な赤子なのであるから。

かつてチェックの服を着た人々が「15で不良と呼ばれたよ」と実験結果をキャッチーなメロディーに乗せて発表していた通り、人間は不良になるまでに少なくとも15年はかかると言われている。

ではコーンはいつ不良化するのかと問われれば、残念ながら彼らが自動的に不良化することは永遠にない。つまりコーンを不良化させるには、必ず外的な要因が必要であるということだ。あるいは人間の場合もそうなのかもしれない。彼らは不良化「する」のではなく、不良化「させられる」のである。

あなたの目の前に収穫したコーンが一本置かれていたとする。これを不良化させてとんがらせるには、いったいどうしたら良いだろうか。

しかしここで無闇に混乱する必要はない。いわゆる不良の考えることは、人間もコーンもそう変わらないからである。つまりはあなた自身が中学教師になったつもりで、立派な不良生徒を育ててやれば良いのである。

獲れたてのコーンといえば、まず気になるのは頭から生えているあのフサフサだろう。これは人間に置き換えれば、なんとなく髪の毛に見えないだろうか。そう見えたらもうしめたもの。さっそくポマードを惜しみなく塗りたくって、こんもりとリーゼントヘアをこしらえてあげれば良い。丸みを帯びていたコーンのひと粒ひと粒が、数分後には徐々に角張ってくるはずである。

しかしこれだけでは、まだとんがるにはほど遠い。次にやるべきは、やはり煙草の煙をコーン全体にたっぷりと吹きかけてやることである。

これは一種の燻製法であるが、その効果を最大限引き出すためには、トイレでやるのがベストであるという研究結果が報告されている。不良とはいえ食べ物である以上、コーンをトイレに持ち込むことには少なからず抵抗があるとは思うが、どうやらコーンの場合も、トイレで煙草の煙を吸うのがもっともメンタル面でリラックスできるということらしい。

ここまでやると、コーンの粒々はすでにかなり鋭角化しているはずだ。残るは総仕上げである。さらに先端を鋭利にとんがらせた上で美味しくするために、全体に「焼きを入れて」やればとんがりコーンの完成である。

なおこの全行程において、コーンの各粒に対し絶え間なく、そしてまんべんなくガンを飛ばし続けると非常にシャープに仕上がると言われている。実際にやってみるとわかるが、すべての粒と目を合わせるというのは非常に難しく、必ず幾粒かはさほどとんがらない優等生に育ってしまうのは致し方のないところである。

このような険しいプロセスを経て、とんがりコーンはようやくみんなの指先へ届く。あなたが指にハメたとんがりコーンを誤って床に落としたが最後、そのコーンは盗んだバイクで走り出し、夜の校舎窓ガラス壊してまわることだろう。


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ラーメン小袋攻城戦

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僕らは相も変わらず「マジックカット」に翻弄されている。あの切れ目がないのに不思議と切れるマジカルな彼奴に。

今日作ったカップ緬には三種類の小袋が入っていた。それが見事に(そして無駄に)三者三様で。

第一の袋は、天地(上下)がギザギザになっているもの。これは特にどこから切れという指示はないが、上か下のギザギザから好きな場所を選んでその谷間から切れば良い。これをわざわざ下からまくり上げるのは相当な曲者だから、通常は上だろう。

第二の袋は、上下左右ともにフラットな仕上がりで、右サイドにのみ「マジックカット」と表記してある。これもまあ、手が濡れていたりする場合に若干の不安はあるものの、右断面であればどこからでも切れるという意図はわかる。

問題は第三の袋である。第三の袋は、天地にギザギザが施されている。私は即座に、上下に裂けば良いのだと思い袋に手をかけた。しかし引きちぎろうと力を込めた刹那、右サイドのフラットな断面付近に「マジックカット」と記されてあるのが視野に飛び込んできた。なんということでしょう。

この思わせぶりな表記により、事態は一気に混迷する。これは明らかにユーザーを試す陽動作戦である。戦国時代の城攻めは、正門から攻めるか搦手門から攻めるかで勝敗が大きく変わるのである。カップ麺の小袋とは、すなわち城である。この三つの「城」をすべて落とさなければ、カップ麺という「国」を手に入れることなど叶わない。「天下布武」など夢のまた夢だ。

この第三の袋は、構造的に見ればいわば第一の袋と第二の袋のハイブリッド種なのであった。いったいなんのために? これは史上最も無駄な足し算のひとつとして記憶されるべき事象である。

「いまだマジックカットに馴染んでいない人のために」という意味で、親切心から保険としてギザギザ面も設けておいたのだろうか。だとしたら、むしろマジックカット面こそ要らないだろう。そもそもギザギザさんの方が遥かにパイセンなのだから。前髪ちょろりの「ギザギザハートの子守唄」は、マジックカットにこそ聴かせるべきだ。

第三の袋に設けられた、三面切り口という罠。敵はすっかり籠城を決め込んでいる。上ギザ、下ギザ、右マジカ。私がどこから攻城戦を仕掛けたのかは、意味なく想像におまかせしたい水死体。難攻不落の小田原城改め小袋城へ、単身丸腰で乗り込む黒田官兵衛の心持ちで……。


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言語遊戯「ことわざ延長戦」第3戦

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「こと」ばの「わざ」というよりは、「こと」ばを「わざ」と使いにくい形にしてしまっているであろうことわざ「ちょい足し実験」も第3弾。

前回までは、わりと上手いこといってやろう、という意欲がそれなりに見られたけれど、こうやって続けていくと徐々に脱力していくもので、別に上手いとかどうでもいいし、いやむしろ上手いとか格好悪いし、という妙なモードに入ってきて、個人的にはこうなってからのほうが好みなのだが、ことわざとしての使いにくさは確実に増しているように思う。では。


◆《果報は寝て待て》
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 《果報は寝て待てそのまま寝過ごせ》

【意味】グッド・ニュースは寝て待つのが良いとされているが、懸命に努力している人からするとたまったものではない。

【解説】童話「ウサギとカメ」におけるカメの強い気持ちを代弁。居眠りしているウサギを起こさずにしれっと追い抜いていったカメにも、このような邪悪さはあったと思われる。


◆《不幸中の幸い》
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 《不幸中の幸い中の大不幸》

【意味】不幸な出来事の中にも救いはあるものだが、その救いの中にさらなる不幸が隠れている場合もあるからけっして油断してはならない。

【解説】もはや何が幸せなのか? 不幸というものは探せばいくらでもある。だが幸せもまたそうなのかもしれない。


◆《石橋を叩いて渡る》
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 《石橋を叩いて渡るよWe Will Rock Youのリズムで》

【意味】名曲は意外なきっかけから生まれるものだ。

【解説】どうせ叩くならば心地好いリズムであるほうが良く、ならばそこから名曲が誕生してもおかしくはないだろう。ちなみにここには、「石=Rock」という呼応関係も隠されている。


◆《餅は餅屋》
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 《餅は餅屋! でもあのお店、餅しか売ってなくて経営は大丈夫かしら?》

【意味】物事は専門家に頼むのが良いが、専門店はどこも経営が苦しそうなので、そこそこ手広くやったほうが良い。

【解説】特に糖質制限ダイエット全盛の今となっては。


◆《類は友を呼ぶ》
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 《類は友を呼ぶ、酒は類を呼ぶ》

【意味】吉田類なら酒場にいるよ。

【解説】えーっと、ことわざってなんでしたっけ?


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