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短篇小説「森羅万象エネミー」

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 世の中の物体はすべて敵味方に分けられる。ご存知だとは思うが、敵味方というのは人間にのみ適応可能な概念ではない。我々は「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」を分別するように、あらゆる物体をも敵味方に分ける必要がある。さもないと、物に迷いが生じてしまう。

 しかし自治体により客観的な基準の定められているゴミの分別と違い、敵味方の分別には個人差がある。たとえば既婚の中堅サラリーマン・絵根見田友郎の場合。

 絵根見田にとって鉛筆は敵である。なぜならば、削るのが面倒くさいからである。そうなると、自動的にシャーペンは味方ということになる。ボールペンも味方だ。理由は削らないでいいから。

 しかしそんな鉛筆も、受験生時代には絵根見田の味方であった過去を持つ。絵根見田の受験勉強によるストレスは、当時鉛筆の尾っぽを囓ることにより解消されていたのであり、かぶりつきたくなるほどに好きであるということは、それを味方と見なしていることの証左にほかならない。

 「削る」ことの面倒さも、「囓る」ほどの愛情には負ける。さすがにシャーペンの無機質な尾っぽを囓るとなると、文字通り歯が立たない。ゆえに受験生当時は、現在とは敵味方が逆転していたことになる。

 絵根見田にとって洗濯バサミは味方である。彼は強風の日にも臆さず洗濯物を外へ干す勇者であるが、彼の大事なお召し物は何度も洗濯バサミにその命を救われている。まさにバネ仕掛けの救世主。だが洗濯バサミをつけていたにもかかわらず洗濯物を吹き飛ばされたことがある者、および罰ゲームと称して身体各部に洗濯バサミを取り付けられたことのある者にとって、それは紛うかたなき敵と見なされることだろう。

 絵根見田にとって歯ブラシは敵の中の敵である。なぜならば歯ブラシを当てると、歯茎から必ず血が出るからだ。いくらなんでも流血沙汰を頻繁に引き起こす相手が敵でないはずがないではないか。絵根見田は歯磨きをよく忘れる中年男性であり重度の歯槽膿漏である。

 絵根見田にとってエンターキーは味方である。仕事場でエンターキーを必要以上に強く叩くことにより、何もしていなくとも「仕事やってる感」がメキメキ出ると固く信じているからである。

 実際のところ絵根見田のPCには、空白に下から左へと曲がる矢印の記号ばかりが縦に並んだ文書が数多く保存されている。なぜそんなものをわざわざ保存しているのかは不明だが、絵根見田はエンターキー以外のキーを強く叩くつもりは毛頭ない。つまりキーボード上のエンターキー以外のキーは、絵根見田にとってすべて敵だ。触れたくもない奴など敵に決まっている。

 こうして絵根見田という一般男性をモデルに敵味方を分別するプロセスを見てゆくと、敵というのは必ずしもそれ自体が邪悪な存在なのではなく、「それを敵と見なす要因はそう思う人の中にこそある」という見方も成り立つ。あるいは「敵」ではなく、「敵視」という言葉こそがふさわしいのかもしれない。絵根見田が歯医者で適切な治療を受ければ、歯ブラシはいずれ味方に変わるのである。

 そしてザ・ドリフターズは番組の最後に「歯ぁ磨けよ!」と言った。


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