泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「親切な訪問者」

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 とある休日の昼下がり、私は自宅で時間指定の宅配便を待っていた。指定した時刻は十四時~十六時。そしてラジオの時報が十四時を知らせた瞬間、早くも部屋のインターホンが鳴った。

 こんなことは珍しい。こういうのはたいがい中途半端な、最も来られては都合の悪いタイミングで来ると相場が決まっている。たとえばちょうど開始時刻から四十分ほど過ぎてトイレに行きたくなり、さらにそこから十五分ほど我慢していま行くべきかまだ待つべきか大いに迷った挙げ句、我慢の限界が来て用を足しはじめたところで鳴ったりするものだ。

 排便を途中で切りあげるほど難しいことはない。小ならば残尿感、大ならば残便感さらには拭き残しを抱えたまま玄関に登場すべきか。あるいはその回は潔く諦めて、再度時間指定からやり直すという面倒な行程を取るべきか。

 だがそのときの私は完全に準備ができていた。開始時刻に準備ができていないようでは、社会人として失格である。とはいえ結局のところ、私はインターホンの音にビクッとなった。そして慌てて駆け寄って受話器を取った。インターホンに慌てないことなどない。あれは人を慌てさせるために発明された機械だ。

 受話器の向こうからは、男の声がした。

「もし、ちょっとお尋ねいたします」

 ここで気になったのは、「もしもし」ではなく「もし」がひとつであるということ。だがそんなことよりも、私にはまず言うべきことがあった。

「はて、どちら様ですか?」

 私は相手が宅配便ではないことを確信してそう訊いた。「もし」というフレーズに引っ張られて、つい使ったことのない「はて」という二文字など頭につけてしまったことが不本意でならない。

「近ごろ、お困りではありませんか?」

 相手は質問に答えることなく、質問に質問で返してきた。しかもそれは、あまりにも普遍的な質問であるがゆえに、「いいえ」と答えるのが難しかった。

「そりゃ困っていることぐらいなら、いつだってひとつやふたつありますよ。でもみんなそんなもんでしょう? セールスなら帰ってください」

「つまり、お困りなんですね?」

 男は懲りずに同じ質問を繰り返した。男はどうやら、私が困っているかどうかに焦点を絞ってきているようだった。

「私が困っていようがいまいが、あんたには関係ないでしょう。どっちにしたって、あんたから買うつもりはないってこと。もう切るよ」

 私は男の本題が、人助けにかこつけた押し売りだと踏んだうえで、質問に対する答えよりも本題のほうを否定する作戦に出た。

「だいぶお困りなんじゃないですか? 以前よりも」

 男の質問が、若干の具体性を帯びてきた。

「あんた、何か知ってんのか?」

 その具体性に不気味さを感じた私が思わず問うた。

「いえいえ。純粋にただただ、お困りだろうと思いましてね」

「じゃあ何を売りたいのか、聴いてやるから先に言えよ」

 私は話を早く終わらせたかったので、ショートカットして相手の本題へ無遠慮に切り込むことにした。

「何も売りたくはありません。ただ、そろそろお困りになる時間帯だと思いまして」

 男の質問はさらに具体性を増した。私は不意に男を試したくなってきた。

「じゃあそんな困っている私に対して、あんたはいったい何をしてくれるというんだね?」

「わたしは困っているかたから困っている要素を、ぜひとも取り除いて差しあげたいのです。そのためならば、なんでも」

 その時、インターホン越しにトラックのエンジン音と、その荷台を開け閉めする音が響いた。そしておそらくはインターホンを占拠していた男に対する「すいません、いいですか?」というエクスキューズの直後に、声の主が切り替わった。

 続いてインターホンの向こうから、「クール宅配便でーす!」という元気な声が響いた。私は「はい、ちょっとお待ちください」と返事をすると玄関先に向かい、ドアを開けた。若い宅配便業者の横には、ハンチング帽をかぶりサングラスにトレンチコート姿の、見るからに怪しい男が立っていた。

 私は宅配業者に提示された伝票にサインをして、冷えきった宅配便を受け取った。そして宅配便のトラックが走り去ったのを確認すると、先ほどから私に困っているかどうか、そればかりをひたすら尋ね続けていたサングラスの男を手招きして言った。

「これがいまの私の、一番の困りごとです」

 そう言って私は男に、いま受け取ったばかりのクール宅配便の箱をそのまま手渡した。男は黙ってうなずくと、何も訊かずに背を向けてそそくさと立ち去っていった。おかげで私は、大きな罪を逃れることができた。


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To Hell With the Devil

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短篇小説「過言禁止法」〈改稿〉

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 SNSの流行により日本語は乱れに乱れた。どう乱れたかといえば端的に言って万事表現がオーバーになった。

 短文の中で自己表現をするとなれば、自然と過激な言葉に頼るようになる。さらには、ただ一方的に表現するだけでなく互いのリプライによる相乗効果も働くとなれば、言葉がなおさら過激化するのは必然であった。そこで日本語教育の行く末を憂う文科省が中心となり政府が打ち出した政策が、2020年夏より施行された「過言禁止法」である。

 この法律により禁止されるのは、「事実とは異なる過剰な表現」ということになっている。なぜならば政府によれば、「言い過ぎている表現=過言」こそが人心を乱すデマの源泉であると目されているからである。たしかにSNSの普及により出所不明のデマがまたたくまに拡散されるようになり、そこで用いられる過剰な表現が警察や消防を無駄に動かすなどの看過できぬ事態が頻発した。

 つまりこれは、「日本語の乱れを食い止める」という文科省大義名分だけでなく、このままでは国家機能が麻痺すると判断した政府による苦肉の策でもあった。

 我々はあまりにも過剰な表現に慣れすぎてしまった。たとえば面白い事象を目撃した際によく使用される「腹筋崩壊」という言葉。「過言禁止法」が施行された今となっては、このような言葉をSNS上などで発した場合、数分後には警官と医師が発言者のもとへ駆けつける。そしてその場で服をまくられ、医師による身体検査が行われる。

 そこで判断されるのは、むろん「腹筋が真に崩壊しているかどうか」という一点である。「腹筋崩壊」という表現を裏づけるだけの崩壊が医学的に認められなければ、法律違反とみなされその場で緊急逮捕となる。むろん、そこで本当に腹筋が崩壊していたという例は、これまで一件たりとも報告されていない。

 そのため、もしも笑いを表現する際に過剰な表現をしたくなった場合は、「腹がよじれた」程度にしておくことが望ましい。これならば万が一検査を受ける際にも、軽く身体を横へひねってみせれば無罪放免となる。

 また、路上で憧れの有名人に出逢った場合なども、充分に気をつける必要がある。一緒に写真を撮ってもらうなどして、それをSNSにアップした上でつい「#マジ神」などのハッシュタグをつけてしまいがちであるが、これも当然取り締まりの対象となる。

 ここで気をつけなければならないのは、この場合過剰な言葉を発した当の発言者だけでなく、その過剰表現の対象となった人物、つまり写真を撮られただけの有名人までもが罪に問われるという点である。

 まずは発言者のもとへ警官と宗教学者がセットで赴き、事情聴取が行われる。容疑者のもとへ向かうチームは、このように場合によって「警官+その発言内容に関連する専門家」で編成されることになっている。たとえば「爆笑」という言葉が発せられた場合は、むろん爆発物処理班が帯同する。

 そして発言者から得た情報をもとに、写真を撮られた人物、つまり発言者に「マジ神」と言わしめた人物へと捜査は展開。そこで宗教学者による詮議や新たに駆けつけた医師による身体検査が行われ、最終的には警官がその人物が本当に神であるかどうかの総合的判断を下す。結果、もしも神でないと判断された場合は、その場で「過言誘導罪」により緊急逮捕となる。

 この法律により、カリスマ性を持つタレントやスポーツ選手が日本国内で続々逮捕され、テレビには平凡なルックスを強調した、タレント性のないタレントばかりが居座りはじめている。もしも気にくわない人間を見かけたら、「マジ神」とSNSで軽くつぶやくだけで画面から簡単に消去することができる社会。

 この先、表現はさらに過激化の一途を辿ることになるのかもしれない――そう思った矢先、さっそくこの「過言禁止法」という法令名それ自体が、すでに過言であるとの意見がSNSで拡散され、この法律の名づけ親である国会議員が逮捕されるという事態に発展した。

 そのためこの法律は、「ちょっと言い過ぎちゃったかもしれないと言っても過言ではないかもしれない法」とその名を改められることとなった。


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短篇小説「桃太郎そのあとに〈童話後日譚〉」

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 かつてない鬼退治の大成功により、その中心人物である桃太郎の人気は爆発した。

 民衆に甚大な被害をもたらしていることを認識していたにもかかわらず、その事実を隠蔽して鬼を放置し続けてきた時の政権はにわかに求心力を失い、鬼に苦しめられてきた人民の誰もが桃太郎政権の誕生を望んだ。それは民衆の自然な心の動きであった。

 どこへ行っても街を歩けば行列ができるほどの握手攻めに遭い、その人気にすっかり気を良くした桃太郎は、やがて全国各地で一斉蜂起した民衆らの一揆勢力に担ぎあげられる形で、反政府運動の象徴となった。

 各種動物をも戦力としてまとめあげたその無類のカリスマ性により、一般市民は武器の貧弱さをも乗り越える圧倒的な戦意と結束力を発揮し、桃太郎を中心とする全国の一揆勢力が各地で一斉蜂起した結果、「仮想鬼」の立場へと追い込まれた中央政府はなすすべもなく打倒された。

 そして民衆らに強く望まれる形で、ここに圧倒的武力と人気を誇る桃太郎による独裁政権が誕生したのである。お爺さんお婆さんに育てられ動物にも好かれた桃太郎は思いやりをもって国をよく治め、ようやく戦のない平和な日々が訪れた。

 しかし天下太平の世は長くは続かなかった。桃太郎の死後、状況は一変した。カリスマ的指導者なき後に世が乱れるのはよくあることだが、桃太郎の場合、後継者となる実子が誰ひとりいなかったことが、その悲劇的状況を加速させた。

 それもそのはず、桃太郎はそもそも謎に包まれた巨大な桃から生まれ出てきたのであり、本人を含む誰ひとりとして、その子孫を拵える方法を知らなかったのである。一般的な方法による子作りには幾度となくチャレンジしたものの、彼は子宝に恵まれぬまま、四十七歳でこの世を去った。人間にしては短命だが、桃にしては長命と言えるかもしれない。

 桃太郎は死の間際、側近である三奉行の犬、猿、キジを枕元に集めて遺言を残した。

「わたしは間もなく死ぬだろう。お前たちは、これまでよくわたしについて戦ってくれた。あとは三匹で力を合わせて、この国を支えていってもらいたい。お前たちは一匹ではものの役に立たないが、三匹で手を取りあって協力すれば、簡単に折れることはないだろう。そう、一本の矢は折れやすいが、三本の矢を束ねれば折れにくいように。あとは頼…ん…だ……」

 桃太郎の死後、遺言通りに犬、猿、キジによる三頭政治が敷かれることとなった。しかし民衆たちは、動物らの言うことになど耳を貸さなかった。全国各地で「桃太郎二世待望論」が沸き起こり、桃太郎に似たカリスマ的人材を待ち望む空気が日に日に醸成されていった。

 それは一般的に考えてみれば、あまりにも非現実的で夢見がちな待望論であったかもしれない。しかしそもそも桃太郎という英雄自体が、非現実的な存在であった。そんな現実離れしたヒーローにいったん魅了されてしまった民衆たちが、「夢よもう一度」と願うことを、誰も止めることはできなかった。

 そしてこの「桃太郎二世待望論」を根底から支えていたのは、皮肉なことに桃太郎自身を後継者問題に追い込んだ主因であるところの、謎に包まれた桃太郎の出生過程であった。

 桃太郎はそもそも、川を流れる桃から生まれてきたのであるから、逆に言えば桃太郎を作るのに桃太郎の遺伝子など必要はなく、つまり父親も母親もありはしない。それはいわば偶然の産物であり、偶然によって生まれるということは、誰にでも桃太郎を手に入れるチャンスがあるということになる。

 そのような「ワンチャン理論」に希望を見出した民衆たちは、特に汚れた服がなくとも、こぞって川へ洗濯に出かけるようになった。誰もが桃太郎入りの桃を拾いあげたお婆さんの当日の行動をまねることで、次なる桃太郎が内包された巨大な桃を入手できると目論んだのである。それはすなわち、自らの手に独裁権力を握ることを意味していた。

 河原に集まった人々は、いっせいにしゃがみ込んで洗濯するふりをしながらも、その実川上の方向ばかりを見上げ続けた。河原は人で満たされ、あちこちで小競りあいが勃発した。それはやがて不毛な縄張り争いへと発展し、自分たちの陣地を守るためという本領安堵を名目に、全国各地から同時多発的に武装勢力が立ち上がった。

 桃太郎がもたらした平和な世の中はこの「川桃利権」によって乱れに乱れ、ここに群雄割拠の戦国時代が到来した。全国各地からはちまきを巻いて動物を連れた自称「桃太郎二世」らが続々と名乗りを上げ、同じ格好をした桃太郎二世同士が斬りつけあい殺しあうことで、絶えまない領土争いを繰り広げた。民衆は再び戦乱の渦へと飲み込まれた。

 そんなある日、いまだかろうじて戦火の及ばぬ片田舎の山あいに住むお爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に行った。お婆さんがいつになく力強いその水流で服をすすいでいると、なんと川上から「どんぶらこ、どんぶらこ」と巨大な桃が流れてきたのだった。

「あ、あれは、もしかすると!」

 お婆さんはそのサイズ感から、それが伝説の桃太郎が入った桃であることを確信した。あの中には、きっと本物の「桃太郎二世」が入っているに違いない。

 しかしそこでお婆さんは考えた。今のような乱世がもたらされたそもそもの発端は、それこそ桃太郎なのではないか。彼はたしかに鬼を倒した英雄ではあったが、彼が見せつけた圧倒的な武力への憧憬こそが、荒くれ者たちに戦国の夢を見させてしまっているのではないか。

 そしてその結果として、多くの民衆が苦しめられ、虐げられている。だとするならば、ここでこの巨大な桃を拾い、新たに桃太郎を育てるということは、わざわざ戦乱の火種を再び拵えてしまうことになりかねない。そうなれば当然、育ての親となる自分たちも、世の中から激しく叩かれることになるだろう。

 そう思い至ったお婆さんが再び川に視線を戻すと、すでに巨大な桃は視界から消えていた。おそらくあの桃はすでに、遠く川下へと流れてしまったのだろう。だがこれで良かったのだ。そう考えることにしたお婆さんは、むしろほっと安堵して家に帰った。巨大な桃を目撃した話は、お爺さんにもしなかった。

 この戦国乱世をいつか誰かが治めてくれるのか、あるいは自然と治まるものなのか、それは誰にもわからない。かつては桃から生まれた男が天下を取ったのだから、そのうちに、桃太郎が連れていた動物のうちの一匹に似たような顔の男が、ひょっこり天下を統一する可能性だってなくはないだろう。

 山を流れる川の先には海があり、海の先には広い世界があった。そうして海外へ渡った桃太郎の活躍は、また別のお話である。


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Behind Closed Doors

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