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《虚空人名辞典》-可茂無不可士

可茂無不可士(かもなし ふかし、1974年7月4日-)は、陶芸家、布団柄デザイナー、経営者である。岐阜県多治見市出身。株式会社無難好品代表取締役社長。

・もともとは甲子園を目指す高校球児であり、その長打力には当時プロも注目、将来を嘱望されていた。

・高校2年の夏、可茂無がフリーバッティングで放った会心の一打が校庭のネットを越え、近隣民家のガラス窓を破壊。運良く怪我人は出なかったが、そこは地元有数の陶芸家・齋藤白雲斎の家であり、その高校生離れした打球により多数の陶器が破砕した。

・可茂無がユニフォーム姿のまま駆けつけて直接謝罪に訪れたところ、白雲斎は怒るどころか、「君が壊してくれたのは、すべて私の失敗作のみだ」と可茂無の高校生離れした打撃センスを絶賛し、感謝を述べた。これを機に可茂無はたびたび白雲斎のもとへ遊びに行くようになり、高3への進級時に野球部を退部。高校卒業と同時に弟子入り。

・白雲斎のもとへ弟子入り後、残念ながら野球で見せた非凡なセンスは芸術面においては見る影もなく、「可も無く不可も無い」陶器を量産する毎日。師匠の白雲斎もセンスばかりは教えようもなく、再び野球をやるようそれとなく勧めるが、可茂無はこれを固辞。

・22歳の冬、師匠の白雲斎が病により死去(享年84歳)。白雲斎はその晩年、芸術性の高い難解な陶器ばかりを作り続け、まったく売れなくなっていた。

・そんな師匠の死を機に、可茂無は自らの芸術的才能に諦めをつけ、「売れなければ意味がない」と発想を転換。地元で100円ショップを経営していた高校野球部時代の友人に売り込み、陶器の販売契約を結ぶ。

・可も無く不可も無い柄が「それっぽいわりに邪魔にならない」との評価を受け、3年後には全国の100円ショップで売られている茶碗/皿の9割が可茂無デザインとなる。それだけの陶器をすべて可茂無自身が製作することは困難であるため、この頃からは工場とライセンス契約を結び、デザイン料を受け取るというビジネス形態へと移行。

・その後、評判を聞きつけた業者から、同じく「可も無く不可も無い」デザインが求められる羽毛布団のデザインを頼まれ、可茂無はここでも成功を収める。日本全国に流通している9割5分の羽毛布団の柄が、可茂無デザインとなる。

・この時期から、デザイナーというよりは、ビジネス誌からその営業手腕に関する取材を受けることが多くなり、その影響もあって会社経営に乗り出す。

・服飾からインテリア、陶器、雑貨、性具までを取り扱うブランド「無難好品」を立ち上げ、株式会社無難好品の代表取締役社長に就任。着々と赤字を積み重ねている。

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