冒頭からいきなりカバー曲で来るとは、なんと度胸のある若武者かと思った。しかしイントロが終わり歌に入るとカバー曲でもなんでもなく、単なるパクりだと気づいて愕然。それもそのはず、リフがあまりにPRETTY MAIDSの“Future World”まんまで、キーボードとの絡みまでしっかりトレースしてしまっては言い逃れようもない。“Last Of The Heroes”という曲名までもが、同じくPRETTY MAIDSの“Lethal Heroes”を思わせる徹底ぶり。本来最も気を遣わねばならぬつかみでこのような失態をやらかすのは、やはり若気の至りと言うべきか。
しかしだからといって全体としてPRETTY MAIDSに似ているというわけではなく、特に疾走曲においては同郷の先輩STRATOVARIUS〜SONATA ARCTICAの流れを汲む、というよりその大河に溺れているような音楽性で個性に乏しい。
16〜18歳の若者が何かをするのに猿真似から入る、というのはもちろん理解できる。「若さとはストレートな感情の発露である」などと若さをやたらに礼賛する向きもあるが、実情はまったく異なる。むしろ個性の出しどころがわからぬため、先輩方の作った枠組みを安易に拝借し、そこに自分を当てはめてしまうものなのだ。子供時代にデビューした漫才コンビなどを見ていると、その枠から逃れられず苦しんでいる様子がよくわかる。
楽曲の方向性からすると、おそらく期待されているであろうSONATA系スピード・チューンよりも、時おり顔を出す④⑨あたりのハード・ポップ系楽曲のほうにむしろ可能性を感じる。だがすでにポストSONATAの座が用意されている雰囲気もあるから、今後ポップ路線に進むのは勇気がいるだろう。
ラストのボーナス・トラック“Fear Of The Dark”はIRON MAIDENの超有名曲のカバーだが、これは完全にミスチョイス。何もかもきっちりコピーしようとしすぎて、結局のところ楽曲の持つノリが出ないというコピーバンドが陥りがちなパターンにすっかり嵌ってしまっている。これを聴くと、IRON MAIDENとはああ見えて根底にロックン・ロールのノリを持つバンドで、ある種ルーズな独特のグルーヴを備えていることがわかる。ヴォーカルも楽器陣も、メトロノームに合わせたようなかっちりした演奏では、MAIDEN楽曲の魅力を引き出すことはできない。そこにはこのバンドが今後身につけてゆくべき課題が明示されているようにも思う。
メロディを創り出す能力というよりは、選び取るセンスに長けているタイプのバンドであると思うので、今後の影響の受け方や制作環境(プロデューサーの人選など)によっては、飛躍的成長や大胆な方向転換の可能性もあるだろう。