泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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うれしはずかし倍返し

ドラマ『半沢直樹』の大ヒットにより主人公の決め台詞「倍返しだ!」という言葉が巷間で流行しているがとんでもないことである。そのようなことを許してしまったら仇討ちまみれの血で血を洗う世の中になってしまう。あの悪名高き『ハンムラビ法典』ですら「目には目を、歯には歯を」つまり仕返しは等倍を旨としているのであって、倍返しとなると「目には目と歯を、歯には歯と目を」ということになりほとんどの人間がのっぺらぼうになってしまう。バーバリアンにもほどがある。

しかしもちろん何事にも良い面と悪い面があるもので、もちろん良い意味での倍返しというのも考えられる。

たとえば銀行のATMに1万円入金したところ即座に2万円ニュインと出てきたら誰だって嬉しい。友達に『進撃の巨人』1巻を貸して1巻が2冊になって返ってきたとしたら微妙だが損ではない。禿げたぶんだけ植毛しようとした結果毛量2倍になって帰ってきた場合、周囲の混乱は倍どころではないだろう。植毛技師は堺雅人ばりの薄ら笑いを浮かべつつ「倍返しだ!」と叫んで過剰なサービス植毛を施したに違いない。いつの間にか悪い意味での倍返しサンプルになっているような気がするが増えているのだから文句は言いづらい。

そういえば「バレンタインデーのチョコに対しホワイトデーは倍返しが常識」なんて説も一時期声高に主張されていたが不景気とともになんとなく言われなくなったような気がする。考えてみれば倍返しというのは、肉体的にもテンション的にも金銭的にも倍の力を持っていることが前提となるわけで、そういう意味でこれは非常にバブリーな言葉である。ちなみに原作小説第1作のタイトルは『オレたちバブル入行組』。

アベノミクスによりバブル的な空気が(今のところ空気だけが)広がりはじめているからこんな言葉が流行しているのか、あるいはむしろ過去の遺物としてのバブルをファンタジーとして懐かしみ楽しんでいるのか。いや単にドラマが話題になっていてそこにくっついてきた言葉、というだけなのかもしれないが、倍返しといっても元の数字が小さければ大した数字にはならないし、まして元手が0ならば何倍しようと変わらず0であり続ける、というのもまた真実である。真実を言ってみたが特に意味はない。

しかし考えてみれば、「半」沢が「倍」返しと言っているのだから、0.5(半)×2(倍)=1で結局のところ等倍返しなのかもしれない。考えてみれば良いというものではない。

とりあえず近所の小学生が「はい倍返し−!」と言って何かを押しつけあっている様子がまだ見てないが目に浮かぶ。それが牛乳キャップとか蝉のぬけがらであればいい。

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