泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『ニッポンの思想』/佐々木敦

批評が外部から行われる行為だとするならば、批評家でありながら「思想」を本業としない作者の立ち位置は、「思想」を俯瞰するうえで絶好の視界を確保していると思われる。特に難しい物事を解きほぐして語るときほど外部の視点が必要となるもので、本書に挙げられた参考文献たちが遠慮なく濫発する難解語を常用語に翻訳(それはまさに「翻訳」レベルの苦労が伴うはずだ)しようと試みる彼の粘り強さには、感動さえ覚える。

以前より、佐々木敦は「わからないことに向き合う力」の強い批評家だとは思っていたが、今回は対象に難敵を選んだことで、その力が存分に発揮されている印象がある。本来ならば、「わからないことをわかりやすく説明してくれる人」と彼を称したい気持ちに駆られるが、さすがに敵はそこまで易しくも優しくもない。

ある種「誰にもわかっていないこと」を探してでも考え続けるのが思想家の役割であるから、それが読者に全部わかったとなれば、その解釈は確実に間違っているということになる。思想家はわかりきっていることを考える必要はないのであり、だからこそそこには何かしらの「揺れ」が常にある。暫定的な答えはもちろんその都度(求められるので)出されるが、より大切なのはその「揺れ」を含んだ思考過程のほうであって、そこを理解するためには佐々木敦のような憑依体質の批評家が必要になってくる。

と、偉そうなことを言っておいて、もちろん全部飲み込めたという自信は到底ない。細かい部分でわからないことは多いし、分量的に説明不足というか、そもそも各人の原著をすべて読み直したうえでもう一度読むとかしないと、まだまだ近づけない部分は多いと感じる。だがそんなことは多くの人にとって無理だ。だからこそ「入門書」としての本書の役割がある。細部に着いていけない部分や理解できない言葉があっても、途中でけっして置いてけぼりをくらうことはなく、全体としてわかるようにできている。そういう意味での親切心が、多くの思想家には欠けているが、そこを作者は上手く補ってくれるので安心して読み進めることができる。

つまり現代思想の「入門書」としてはまさにうってつけで、'80年代以降の日本における思想の流れを理解するうえでは、最高の入口となり得る。そして何よりも、「今」を考えるための「土台作り」ができる。この「土台」をどう作っていいものかと右往左往していた人は、思いのほか多いのではないだろうか。もちろんこれは作者が彼なりの解釈で作り上げた「土台」ではあるが、その上にどんな家を建てても壊れないだけの安定感と汎用性は充分にある。

そして最も気になるのは、この「土台」の上に作者自身がどのような「家=思想」を打ちたてるのかという点だが、あとがきによれば、近いうちに作者の手による『未知との遭遇』という名の思想本が上梓されるらしい。こちらも期待大である。

【追記】
ジュンク堂書店新宿店で、『ニッポンの思想』フェアがはじまっている模様。
http://d.hatena.ne.jp/m-sakane/20090831
なかなか見つけづらい本が並んでいそうなので、要チェック。

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