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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

明智、天下布武やめるってよ

コラム

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特に耳を傾けていなくとも、おのずと耳に入ってきてしまう会話というのがあって。

寒波、寒波と日本中が騒いでいたきのう日曜日の夕方、近所にあるスーパーとコンビニエンスの中間くらいのマーケット。

レジを済ませて自動ドアを出るところで、ちょうど入ってくる小学校低学年くらいの男の子二人組とすれ違った。二人とも下は短パンにハイソックス、上にはウインドブレーカーを着込んでいる。一人はネットに入れたボールをぶら下げており、おそらくはサッカーの練習帰りといったところだろう。

店を出る僕はすれ違いざま、小学生二人の繰り広げる鮮烈な会話に耳を奪われた。

「光秀って農民に殺されたんだって」
「農民に?」

会話のテンポの良さといい声のトーンの自然さといい、それはもう完全に日常会話であった。トーン的には、「桐島、部活やめるってよ」くらいな感じである。

桐島が部活をやめても日本は変わらないが、光秀が死んで日本は確実に変わった。ちなみに最初の台詞はボールを持っているほうの子、後の台詞はボールを持っていないほうの子が放ったものである。

だが改めて考えてみると、もちろんそんな話題を持ち出すほうも持ち出すほうだが、それを聴いて「農民に?」とちゃんとピンポイントで疑問を呈してくる子のほうもなかなか見どころがある。

なぜならばそこに引っかかるということは、戦国武将はいくさ場で死ぬことを本望とし、そこらへんで一般市民に殺されるのはあまりに可哀想だ、ということを、理論的にではないにしても彼はうっすらとわかっているからである。つまりは「武将が農民に殺される」ということが、当然ではなく意外、そして残念なことであるということが。

二人は戦国時代からタイムスリップしてきたのかもしれないし、僕が戦国時代にタイムスリップしているのかもしれない。とりあえずテレビをつけてみると、『おんな城主 直虎』や『信長協奏曲』という番組をやっている。


tmykinoue.hatenablog.com

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連載小説「二言武士」/第三言:一心同体岡っ引きシックス

連載小説「二言武士」

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似たような物品を所持している者同士というのは、何かと親近感の湧くものである。

「御用だ! 御用だ御用だ!」

器物損壊の容疑をかけられた覆之介を取り囲んだ六人の岡っ引きたちはそれぞれ、胸の高さに十手を構えていた。それに対し覆之介も、現時点における自らの得物である「バールのようなもの」を、無手勝流に構えたというかなんとなく前へと突き出した。騒然となった団子屋の店内に、張り詰めた空気が走り一瞬の静寂が訪れた。

「あ、なんか似ちゃってるよね、それとこれ」

すっかり出揃った武器を前に、覆之介はなんとなく気づいたことを素直に口走った。すると思いのほか素直な六人の岡っ引きたちは、「言われてみればそうだな」と全員まったく同じタイミングで納得したのち、途端に恥ずかしい気持ちになり揃って同程度に頬を赤らめた。たしかに「バールのようなもの」は、微妙に十手に形状が似ていると言えなくもなかった。

「まあでも、似てないっちゃ似てないけど」

すわ大捕物か、という場の緊張感が一気にほぐれたところで、早くも覆之介の秘技・前言撤回が炸裂した。いつでもどこでも二言のある武士・覆之介の面目躍如である。前言とは正反対の意見を喰らった六人の岡っ引きたちは、全員もれなく再び「言われてみればそうだな」と思ったという。

さて、ここで困ったことに、六人の岡っ引きたちの脳内ではそれぞれ、「言われてみればそうだな」対「言われてみればそうだな」の激しい衝突事故が起こっていた。ある事象に対する正反対の二つの意見、ここで言えば「十手がバールのようなものに似ているか否か」というお題について、成否それぞれの意見に同じく「言われてみればそうだな」と賛同した場合、人はどういった行動を取るのか?

六人の岡っ引きの脳内で「言われてみればそうだな」と「言われてみればそうだな」が関ヶ原レベルの激戦を繰り広げた挙げ句、荒野に晒された敗残兵の如く残ったものは、「どちらとも言えるな」という、なんの行動にもつながらない「ゼロの意見」であった。

結果、六人の岡っ引きは例外なく思考停止状態に陥った。気づけば覆之介を含め、七人で互いの十手と「バールのようなもの」を見せあうなどしながら、団子を食し酒をあおり奔放に歌い踊っていた。実のところ六人の岡っ引きは異様に歌が上手く、手慣れた様子で十手をマイクのように構えると、驚くほど息の合ったコーラス・ワークで覆之介が繰り出す偏見まみれの珍妙なライムを見事に支えた。

ひとしきり歌い踊って飲み食い終わり腰を落ち着けたころ、六人の岡っ引きは覆之介の得物である「バールのようなもの」を見せろ見せろとせがみはじめ、ついには「やっぱこれ欲しい」「どうしても欲しい」の大合唱が巻き起こった。

当の覆之介は正直なところ、この「バールのようなもの」を完全に気に入っているわけでもなく、そう言われてみれば「まあバールのようなものでも十手でもどっちでもいいかな」と思わないでもなかった。

とはいえもちろん、お国からのオフィシャルな供給物である十手と交換してやるわけにもいかない。覆之介は岡っ引きの公パワーで店の勘定をタダにさせると、六人の岡っ引きに「バールのようなもの」を取り扱っている例の刀剣ショップを教えてやり、全員とLINEを交換して別れた。

帰り道、律儀な六人の岡っ引きから感謝のスタンプがひっきりなしに送られてきてウザいことこの上なかった。どれも同じく、笑顔で切腹している武士のイラストの上に、ポップな書体で「ありがとう」の血文字が陽気に躍っているという、恐ろしく感情の見えないスタンプであった。返信は困難を極めた。

日本十大あけましておめでとうございます2017

新年のごあいさつ 戯れ言

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あけましておめでとうございます(年末貼り替えたばかりの障子に穴を)。

あけましておめでとうございます(上司が入っているトイレットのドアを)。

あけましておめでとうございます(ぼったくりバーの扉を)。

あけましておめでとうございます(サンタクロースが来た際に薄目を)。

あけましておめでとうございます(ヤンキー先生に心の扉を)。

あけましておめでとうございます(たどたどしい日本語のウイルスメールを)。

あけましておめでとうございます(バレバレの仮病で仕事に穴を)。

あけましておめでとうございます(閉塞した現代の音楽シーンに風穴を)。

あけましておめでとうございます(初デートから次のデートまでに意味ありげな間隔を)。

あけましておめでとうございます(ペリーが極東の島国を)。


それはともかく、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

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