泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

性格の不一致、対話のスイッチ

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夫婦の離婚原因第一位は「性格の不一致」と言われるが、果たして本当にそうなのかどうか。むしろ完全に一致してしまったら1×1=1にしかならないという考え方もあるし、すべてわかりきっている相手に興味が持てないという可能性もある。そもそも「性格の完全一致」なんて、「DNAの完全一致」と同等の奇跡なんじゃあないか。

こういう場合は単に言葉が感情に追いついていないだけの場合が多くて、たぶん不和に陥った夫婦が抱く互いへの気持ちが、まだ正確に日本語化されていないということだろう。犯罪動機でよくある「ムシャクシャしてやった」というのが、日本語として明らかに足りていないのと一緒である。そもそも「ムシャクシャ」という言葉を、感情表現として一般に使用する日本人が今どれだけいるだろうか。

このように、言葉が感情に追いついていない、言葉が感情を表現し切れていないケースはむしろ日常茶飯事である。感情を言葉にまとめた瞬間、そこからこぼれ落ちるものこそが、むしろ真実なのかもしれない。先日それを改めて思い知らされる場面に遭遇した。

カフェの二人掛けテーブル席で本を読んでいると、隣に60過ぎくらいの夫婦らしき二人が座った。夫はふんぞり返って足を組んで座り、その向かいの妻はちょこなんとおとなしく座っている。見るからに旧態依然とした亭主関白の構図である。

夫は自分が「テレビをほとんど観ない」と言いつつ、テレビの話をはじめる。いかにも格好つけたがる男の論法ではある。「特に好きじゃないけど全部知ってるよ」という全知全能のスタンス。

そして夫は、「あれぐらいなら俺でもできる」「あいつらたいしたことない」と大いにイキりはじめる。その批判の言葉自体が紋切り型で何ひとつ面白くないので、彼がもしテレビに出たらまず何もできずに終わることは明らかである。妻は夫の持論をしぶしぶ聴いているが、不快な感じでもない。慣れもあるのだろう。

やがて夫が女子アナ批判をはじめる。「あいつらさほど頭よくないだろ」と。そこでなぜか妻のほうにスイッチが入る。「そんなことないわよ。だって女子アナになるのって、ものすごい倍率なのよ」妻は女子アナを非常に高く評価しているらしい。

しかし夫は議論においては、絶対に妻に負けるわけにはいかないと決めている。「たまたま見た目がいいから入ってんだろ」というのはいかにも言いそうな台詞だが、「あとは適当に周りに合わせて喋ってりゃいいんだよ。あれなら俺でもできる」という言い草にはつい吹き出しそうになった。それ以前に女子になるつもりなのか、と。

だが妻も声は小さめだが負けてはいない。「だってアナウンサーの試験には、筆記試験があるのよ!」と、筆記試験というものを異様に怖れている様子だ。僕も就職試験はいくつか受けたので知っているが、筆記試験があってもそれはほぼ形式にすぎないというか、さほど重視しない会社も多い。ここは受験経験のあるなしで、まったくイメージが異なるのかもしれない。

となると夫は当然、そこを突いてくる。「筆記試験なんて、どこの会社にもある」「だからそのテストの点数を、裏からコネ使っていくらでも底上げしてもらうんだよ」こっちはこっちで極端だが、妻は弱気に囁く。「コネって言ったって……ああ、高橋真麻とか……?」

高橋真麻トーク力は、結果的に判断すれば実力だと思うが、二世タレントにそういうイメージを持つのはわからなくもない。だが妻も案外簡単には引き下がらず、「ほらカトパンとか、頭良さそうじゃない」と具体例を投げてみる。

「ああ、カトパンな……」妻の投じた苦し紛れの一投が、思いがけず夫の胸に刺さる。「お父さん、カトパン好きだもんね」「まあな。テレビは俺、カトパンが出るやつくらいしか見ないからな」

いったいこの対話は、噛みあっているのかいないのか。一行ずつ検証していくと、二人の対話は明らかに「性格の不一致」や「価値観の不一致」を大いに感じさせるものだが、全体としてはどういうわけか、のろけ話のような甘ったるい印象すら受ける。対立しているようで結局は理解者であるような、不思議なねじれのある対話。

もしも最初から二人の性格が一致していたら、この対話は二行で終わっていたはずで、少なくともそこにこんな熱量は生まれ得なかっただろう。この夫婦に憧れるかどうかは別にして。

おそらく「性格の不一致」というのは、「相性の悪さ」を意味しない。むろんだからといって「相性の良さ」を意味するわけでもないが、「ねじれてこそ対話」という人間関係の不思議を改めて思い知らされる出来事であった。「性格の不一致」こそ、「対話をドライブさせるスイッチ」なのかもしれない。

と、無理矢理な韻を抜き足差し足踏んだところで、おあとがよろしいようで……。


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The お前が歌うんかい!~「Set The World On Fire」/GIOELI-CASTRONOVO~

かつて『ダウンタウンのごっつええ感じ』で、傷心の客のためにレコードをかけたバーテンダーが、その曲のイントロが終わると自ら歌い出し、「お前が歌うんかい!」と思い切りツッコまれるというシリーズコントがあった。

ちょうど今年に入ってから『水曜日のダウンタウン』で、その「お前が歌うんかい!」シチュエーションで的確にそうツッコめるかという実験をやっていた。

――という思い出を再入力するような流れがあった上で、このMVが存在する。いやそんな「流れ」があるのはきっと僕の脳内だけで、当人らはもちろんそんなつもりで作っていないに決まっているのだが、いったんそう思って観ると、もうあの流れを汲んでいるとしか思えない。まずは観てほしい。

◆「Set The World On Fire」/GIOELI-CASTRONOVO
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「お前が歌うんかい!」迷いなく、そう思っていただけたのではないだろうか。しかしこの二人の組み合わせからすると、思ったよりハード・ロックというよりはメタル寄りの鋭利な曲で、アルバムにも期待できそうだ。それにしても、ディーンのドラムは相変わらずタイトの極み。

このGIOELI-CASTRONOVOとは、元HARDLINEのジョニー・ジョエリとディーン・カストロノヴォが組んだプロジェクトである。HARDLINEといえば、JOUNEYのギタリストであるニール・ショーンが結成したバンドで、ジョニーとディーンの二人は1992年のデビュー・アルバム『DOUBLE ECLIPSE』で共演している。

しかしこの『DOUBLE ECLIPSE』というのが、実はけっこう評価の難しいアルバムで、メロディアスなアメリカン・ハード・ロックの名盤には違いないのだが、何しろ肝心な頭の2曲が、脳天気なだけでメロディーが全然良くないのである。

それ以降は、「Love Leads The Way」「Change Of Heart」「Can't Find My Way」のように美麗なバラードから、「Everything」「Hot Cherie」のように硬派なハード・ロックまで、少なくとも過半数はJOURNEYの名曲群に勝とも劣らない、いやエッジが効いている分こちらのほうが良いとすら言いたくなるくらい素晴らしい楽曲が揃っている。

それにしても、アルバム中1、2を争う名曲「Love Leads The Way」が日本版ボーナストラック扱いであるというあたりにも、「こんなに良い曲が書けるのに、こんなに良い曲を選べないとはどういうわけか?」という疑問が残るのだが。ちなみに2nd以降は同じバンドとは思えないくらいパッとしなくなってしまった。

その後、Vo.のジョニー・ジョエリはAXEL RUDI PELLなどでも力強い歌唱を聴かせてくれていて、声量、声質ともに超一流の歌い手であると聴くたびに思う。

一方で「お前が歌うんかい!」とツッコまれるべき側のディーン・カストロノヴォのほうも、シンガーとしての経歴を着実に積み上げており、最近だと彼が参加しているREVOLUTION SAINTSのこの曲なんかも、やはり「お前が歌うんかい!」なのであった。そういえば当ブログで、2017年の年間ベストアルバムで7位に選んでいた作品。

◆「Light In The Dark」/REVOLUTION RAINTS
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しかしこちらは、やはり専任ヴォーカルが前に立っていないので、演奏者の誰かが歌い始めるという予感があるぶん、若干良心的であると言える(良心って何かね?)。

それに比べると、先ほどのGIOELI-CASTRONOVOのほうは、明らかにヴォーカリスト然としたジョニーがフロントに堂々立っているから、それが一種の陽動作戦として機能している。それを踏まえてもう一度観ていただこう。

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いったんジョニーに視線を食いつかせておいてから、逆をついて後方のドラマーが歌うという奇襲攻撃。日本代表の夢を打ち砕いた、あのベルギーの高速カウンターの如し。やはりこちらのほうが、「お前が歌うんかい!」指数は圧倒的に高い。

日本で「歌うドラマー」といえば稲垣潤一C-C-Bと相場が決まっているが、ここにディーン・カストロノヴォを加えて「世界三大歌うドラマー」としたい。異論しかないであろう。

SET THE WORLD ON FIRE

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ダブル・エクリプス

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男とアンテナと異邦人

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先日、昼過ぎに公園を歩いていると、池の縁に立っている初老の男を見かけた。

とはいえ人が死ねるほどの深さを持つ池ではないから、自殺志願の心配はない。佇むといった陰鬱な雰囲気はなく、むしろ仁王立ちの誇らしさで背中を反らせ気味に立っている。

後ろから見ると、その姿は立ち小便をしているように見えなくもない。だが足を肩幅に開いて立つ男性の後ろ姿がそう見えてしまうのは良くあることで、実際には釣りをしていた、というような錯覚はありがちな話。ましてやここは池である。といっても公園内での釣りは禁止されているはずだし、釣り糸を垂らす人の姿をこれまでに見かけたことはない。

僕は男が立っている数メートル脇に架かる橋を渡るため、彼の斜め後ろから徐々に近づいてゆく形になった。男の横顔が見えてくると、その手はやはり何かを股間付近で握っているように見えた。もちろん変質者の可能性もあるが、すぐ横にある橋の上を通る人は多く、誰も逃げている様子はない。となると、「立ちション」か「釣り」の二択ということになる。

しかし立ちションにしてはさすがに白昼堂々すぎる。そのうえ人通りの多い橋に向けて完全にモノを露出していることになるから、結果的に変質者も兼ねる。それにしては通行人たちが落ち着きすぎている。

公園には、普段から様々な音が流れている。鳥の鳴き声や子供たちのはしゃぐ声のみならず、弾き語りを聴かせる自称ミュージシャンもいれば、なにやら出囃子をかけて大道芸を披露する自称芸人もいる。公園という場所は「自称」の巣窟である。このときもどこからか、耳馴染みのある音楽が耳へと流れ込んできていた。

エキゾチックなイントロ、大陸を感じさせる雄大なメロディー、繊細で美麗な女性ボーカル……その曲は、間違いなく久保田早紀の「異邦人」であった。僕はこの曲を、なぜか「『恋人よ』じゃないほうの曲」として認識している。

それはちょうど、どちらも1980年あたりにピアノを弾き語りする女性が歌っていた曲だからで、微妙に後追いでこの二曲を耳にした世代としては、なんとなく同じ引き出しに入れてしまっているのである。そして音楽は哀しいものばかり好む自分の趣味からすると、やはりイントロから荘厳な絶望感に溢れている「恋人よ」のほうに、先に心を掴まれた。

しかし「異邦人」も本当に素晴らしい曲で、そのアレンジの妙を理解できるようになってからは、改めてとんでもない名曲だと思うようになった。だから公園でこの曲を耳にした時も、自分の中で「えーっと、これは『恋人よ』じゃなくて『異邦人』のほうね」という確認の一段階こそあったが、わりと気分良く美旋律に耳を傾けつつ、その先に来たるべき転調など待ち受けながら歩いていた。

だがどこからともなく聞こえてくるその名曲は、弾き語りによる生歌でないばかりか、むしろ声が割れているなどしてすこぶる音質が悪い。やがて池の縁に立つ男を追い越して渡るべき橋へと差しかかった僕が、念のため振り返ってその姿を確認すると、男の股間からは金属製の伸縮式アンテナがすっくと伸びていたのだった。

即座に何かしらの危機感を感じたため、その股間をじっくり見ることは叶わなかったが、どうやら「異邦人」はそのアンテナを通じて発信されていたらしい。いやアンテナは受信するもので、発信場所は何かしらのスピーカーなのだろうが。そのアンテナの根っこにあるものがラジオなのかラジカセなのかCDプレーヤーなのか、あるいは最新鋭のモバイル機器なのかは判別できなかったが、音質的にはAMラジオが濃厚だろうとは思った。

そう思ってみたところで何がどうというわけでもないが、それが男自身の選曲によるものなのか、他人つまりラジオパーソナリティーやディレクターによる選曲なのかという点には、大きな違いがある。とはいえ「異邦人」は昨今のラジオでそう頻繁にかかる曲とも思えないので、ここは前者だと信じたい。

いずれにしても、「立ちション」でも「釣り」でもない第三の選択肢を思いつけなかったこちらの負けだ。このたび、「人を後ろ姿で判断してはいけない」という崇高なる教訓を得た。

「股間のアンテナから異邦人」――この妙に座りの悪い現実を前に、我々にいったい何ができるというのだろうか? この「異邦人」とは果たして何を意味するのか、改めて歌詞を見ながら「異邦人」をじっくり聴き込んでみたところで、そこに答えは見当たらないだろう。

もしもこの男が我々とはかけ離れた価値観を持つ「異星人」だったとして、「異星人」が「異邦人」をかけていたら、それはもはやひっくるめて「地球人」なのではないか? いやそれはそれで、「異星人」から見たら「異星人」なのか?――などと考えても仕方がないので、そのまま頭を空にして駅へと歩を進めたのは正解であった。


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