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短篇小説「河童少年のモイモイモイスチャー日記 其ノ二十四」

 今朝はベッドの上にぶん投げられた衝撃で目が覚めた。すぐ横にはじいちゃんが立っていて、

「お前が『りく』でワシが『りゅう』な!」

 と言って鼻息を荒くしている。なにやら夜中に「りくりゅう」と呼ばれるフィギュアスケートの日本人ペアが金メダルを獲得したらしく、じいちゃんはそこで人を持ち上げてぶん投げる技を憶えたらしい。てゆうか僕もじいちゃんも人じゃなくて河童なんだけど。あいかわらずじいちゃんはいにしえの河童のくせに、人間社会の流行に影響を受けやすすぎて困る。

 僕が朝食のきゅうりを食べて家を出ようとすると、じいちゃんが玄関先まで駆けてきて、いきなり、

「帰ってきたらじいちゃんオリンピックを開催する!」

 と謎の開会宣言をしてきた。どうやら「じいちゃんオリンピック」という響きが「平昌(ピョンチャン)オリンピック」みたいで気に入ってるみたいだけど、いったいいつの話をしてるんだろう。まあじいちゃんくらい長いこと生きてると、そんなのつい昨日みたいなものなのかもしれないけど。

 学校から帰るとテーブルに、〈河原で待つ〉とだけ書かれた置き手紙があって、無視するとスネるので僕も仕方なく河原へ向かった。

 だけどいざ河原に着いてみたところで、もちろん雪なんて積もってやしないから冬のオリンピック競技なんてできるはずもない。いったい何をするつもりなのかと訊くと、まずは朝方キャンセルになった小林陵侑のぶんをワシが代わりに飛ぶんだとじいちゃんは言い出した。なにやら彼の最後のジャンプが豪雪でキャンセルになったせいで、スーパーチームとかいうスキージャンプ新競技のメダルを日本が取り損ねたらしく、そのリベンジだとじいちゃんはひとり息巻いている。

 といっても河原にジャンプ台なんてあるはずはないので、どこをどう飛ぶのか尋ねると、案の定じいちゃんは「お前がジャンプ台をやれ」と無茶なことを言ってくる。しょうがないのでなんとなく砂利の上にうずくまってはみるけれど、僕がどう動いても甲羅の角度が気に入らないのかなんなのか、じいちゃんは僕に「もっと前!」とか「傾きすぎ!」とかいちいち指示を出してきて、ちょうどいいからいますぐ失敗ジャンプで硬い砂利の上に転倒して打ち所が悪くてそのままくたばれじじい、とか思った。

 なのにじいちゃんはタタタッと地面を蹴って走ってきて僕の甲羅に乗ってから高くジャンプすると、川に入るギリ手前の位置に両手を広げた見事なテレマーク姿勢で着地してみせた。だけど雪もなければなにひとつ滑ってもいないので、これがスキージャンプと言われても納得感はまるでない。

 にもかかわらずじいちゃんはすこぶる満足げで、自分のように泳ぎの得意な河童はいつも水面下で足をV字に開いている、だからスキージャンプくらいはお手のものなのだと豪語していて、これはちょっといいことを聞いたかもしれないとは思った。次からはV字で泳いでみよう。

 そうこうしてるうちにもう日が暮れてきたので、じいちゃんの提案で最後にモーグルをやって終わろうということになった。そうなると当然僕がコブやジャンプ台をやらされることになるわけだけど、しばらくやっていたらさすがにムカついてきたのでいい加減交代してくれと僕が言うと、じいちゃんは案外すんなり交代してくれて、やっぱじいちゃんって意外とやさしいとこあるんだよなぁとちょっと見直した。

 それから日が暮れるまで僕がじいちゃんの甲羅に乗ったりその上からジャンプしたりして、二人でなんとなく表彰式やメダル獲得を伝えるインタビューまでお互いにやりきってから家に帰ると、なぜか玄関先で警官が母親と立ち話をしていた。

 あとで母親から聞いた話によると、近所のおばさんから「すぐそこの河原で河童の子供が、河童の老爺を踏んだり蹴ったり虐待している」という物騒な通報があったらしく、母親は咄嗟にそれは河童の世界における愛情表現なのだと適当な嘘をついてなんとかごまかしてくれたらしい。

 そのあと夕飯のきゅうりを食べながら母親に二人してこっぴどく叱られた挙げ句、じいちゃんと風呂に入ったらお互い甲羅のあちこちに結構なひび割れを見つけてげんなり。


【ChatGPT氏によるちょうちん解説】
 本作「河童少年のモイモイモイスチャー日記 其ノ二十四」は、シリーズに通底する軽妙な語り口と家庭内コメディの形式を保ちながら、ささやかな身体性と世代間の距離、そして遊びと暴力の境界のあいまいさを巧みに浮かび上がらせた一篇である。

 物語の核にあるのは、オリンピックという巨大イベントの記憶を独自に吸収し、自己流に再演しようとする祖父の衝動だ。雪も競技場もない河原で強行される“じいちゃんオリンピック”は、現実の競技をなぞりながらも、河童の身体条件へと滑稽に変換されていく。そのズレが笑いを生む一方で、本作は単なるパロディには終わらない。孫である語り手は終始振り回されながらも祖父の身体を支え、最後には立場を入れ替えて同じ遊びを共有する。この相互の身体の預け合いが、作品の温度を静かに支えている。

 興味深いのは、二人にとっては遊びでしかない行為が、外部の視点からは「虐待」として通報されてしまう点である。ここでは、行為そのものではなく、それを見る位置によって意味が変わるというシリーズ特有の可笑しさと、現代社会の過剰な監視や誤読への風刺が軽やかに織り込まれている。母親の咄嗟の嘘もまた、この家族なりの世界を守るための小さな防波堤として機能する。

 そして忘れてはならないのがラストの描写だ。無邪気に遊び尽くした後、ふと見つかる甲羅のひび割れ。笑いと疲労の後に訪れるこの具体的な傷は、時間の経過と身体の限界を静かに示し、祖父との時間が決して無限ではないことをほのめかす。水分を保つはずの「モイモイモイスチャー」の世界にも、乾きや劣化は忍び込むのである。

 河童という非現実の存在を用いながら、本作が描くのはきわめて身近な祖父と孫の時間であり、遊びの記憶であり、そして少しだけ切ない身体の物語だ。軽やかな笑いの底に小さなひびを忍ばせるその手つきこそ、本シリーズが読者を惹きつけ続ける理由だろう。


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