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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「匂わせの街」

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 冒険の途中でふと喉の渇きをおぼえたわたしは、夕暮れどきに立ち寄った街でカフェのドアを開けた。

「いらっしゃい! そういえば最近、夜中になると二階から妙な物音がするんだよ」

 カウンターでカップを拭っている髭のマスターが、ありがちな挨拶に続けてなにやら唐突な相談を持ちかけてきた。さすがに気になったので、初対面ではあるが、わたしはボタンを押してもう一度話しかけてみた。すると、

「いらっしゃい! そういえば最近、夜中になると二階から妙な物音がするんだよ」

 マスターは、先ほどと一言一句同じ台詞を繰り返すのだった。わたしはひどく馬鹿にされているような気がしたが、ふと喉の渇きを思い出して、ここは飲み物にありつくことを優先すべきだと考えた。わたしはカウンター上にあるメニューの前でボタンを押してみた。

「いらっしゃい! そういえば最近、夜中になると二階から妙な物音がするんだよ」

 わたしはメニューを手に取るつもりが、間違えてもう一度マスターに話しかけてしまっていたらしい。わたしは確実にメニューの目前でボタンを押したのだったが、そこに立てかけられているメニューはただそう見えているだけで、実際には手に取ることができないものであるようだった。

 おかげでわたしの操作はメニューを飛び越して、カウンターの向こうにいるマスターに働きかけてしまったようだ。それもこれも、雑な開発者が「話しかける」と「調べる」というまったく別の動作をいっしょくたにして、ひとつのボタンに割り振ってしまったせいだ。

 わたしはてっきり、喉の渇きはカフェに行けば癒やせると思っていたのだが、この世界ではどうやら違う場所へ行く必要があるらしい。だとすると、このカフェには何か別の役割があるということになる。この世界には、不要な建物などひとつもないのだから。

 いったん席を離れると、わたしは壁際に設置されている階段を昇った。先ほどのマスターの台詞が、今後の展開を示唆するなんらかのヒントになっている可能性があると考えたからだ。

 二階へ上がると、廊下を挟んで向かいあわせに四つの扉があった。それぞれ鍵のない扉を開けて中へ入ってみると、どれも誰かが住んでいる部屋であるようだった。あるいはマスターの家族が二階に住んでいるのかもしれないが、だとすれば階段を上がった客が勝手に入れてしまうというこの構造は、あまりに不用心すぎる。これも開発者の怠慢だろう。

 一番奥の部屋を空けると、中では男の子と女の子がぐるぐると追いかけっこをしている最中だった。前を走る女の子に声をかけると「おばけだー!」と言い、後ろから追いかけている男の子に話しかけると「たべちゃうぞ-!」と言った。タイミングをはかって何度か話しかけてみても、彼らもやはり毎度同じことしか言わなかった。

 現時点では特に問題はなさそうなので、わたしは階段を降りて再び一階のカウンター席へ戻った。戻ったといっても席に座れるわけではなく、カウンターの前に立つ格好になる。カウンター前に並んだスツールもまたメニューと同じく、わたしの動作に応えるようにはできていないらしい。座れたら座れたで、そこにはまた何かしらの意味が出てしまうからだ。

 わたしはもう一度、駄目もとでマスターに話しかけてみた。わたしがなんと言って声をかけているのかは、誰にもわからない。わたしはただ静かにボタンを押すだけだ。

「そういえばウチのチビどもが、近ごろ妙に元気でねぇ」

 なんとマスターが、新たな台詞を呟いた。いったん別の人に話しかけてから、戻ってきてもう一度話しかけると台詞が変わっているということは、つまり何らかの意味で物語が進行したということになる。

 だがマスターは最初に、物音は夜中にすると言っていた。いまはまだ夕方で、天井から響き渡っているのは、間違いなく追いかけっこをする子供たちの足音だ。何も怪しい要素はない。

 わたしは夜が更けてから、いま一度この店を訪れる必要があるだろう。わたしはとりあえず店を出て、街全体を見てまわることにした。

 近くにある武器屋を覗いてみたがわたしにはまだ価格が高く、いま持っている以上の武器は買えそうになかった。防具屋もまた同様だった。通りがかりにいくつかの家に無断で入り込んだりもしたが、不思議と誰にも怒られることはなかった。そのうち少し調子に乗って、壺や壁にかかった袋から、ちょっとずついろいろな物を拝借してみたりもした。

 壺の奥にある物を取り出すのに、中へ手を突っ込めばよいものを、わたしにはなぜかそれができず、いちいちわざわざ頭の上に振りかぶってから床へ叩きつけて割ることになるのだった。しかしそれでも怒られないどころか、いったん家を出てからもう一度中に入ってみれば、割れた壺がすっかり修復されているのには驚いた。ならばと味を占めてもう一度その壺を割ってみたが、都合よく中身まで補充されているということはなく、それは単なる破壊的行為でしかなかった。

 やがて街のはずれで道具屋を見つけたので入ってみると、そこでは「エナジードリンク」というものが売っていて、それによってわたしはようやく喉の渇きを満たすことができた。喉が渇いたときに行くべき場所が、カフェではなく道具屋であったとは知らなかった。これも開発者の妙なこだわりなのだろう。

 そして道具屋の隣には宿屋があった。わたしはそこで夜中まで時間を潰そうと思いつき、受付にいるおばさんに話しかけた。わたしはここで夜が更けるのを待って、いま一度あのカフェの二階へと向かい、そこで子供たちにとり憑いた化物と闘うことになるだろう。そうやってこの先取るべき行動に思いを馳せていたわたしは、おばさんの話を聞き流しつつ、適当にボタンを連打していた。すると急に目の前が真っ暗になり、気づけばわたしはベッドの上から立ち上がり、窓から入り込んでくる朝日を存分に浴びているのだった。

 まったく、なんてこった。こうなるとまた夜まで待たねばならない。わたしはこの宿屋のおばさんこそが、真の敵であるような気がしてきた。

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