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短篇小説「漕ぎ男」

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 男が自転車を立ち漕ぎしている。 文字通り、サドルの上に立って。ペダルまでの距離は遠いが、いまは下り坂なので問題はない。上り坂が来ないことを祈るばかりだ。

 やがてサドルの上に立って進む立ち漕ぎ男の脇を、座り漕ぎ男が追い抜いてゆく。座り漕ぎ男もまた文字通り、地面に座ったまま自転車を漕いでいる。もちろん尻は熱い。 

 と思いきや、ボトムスの尻部分には二個のローラーがついているので熱くない。なので正確に言えば二輪車ではなく四輪車と言うべきだ。尻ローラーがうなりを上げる。

 そうなると次に現れるのはもちろん寝漕ぎ男だ。寝漕ぎ男は前輪と後輪のあいだに、あお向けに寝そべってペダルを漕いでいる。なので寝漕ぎ用自転車のホイールベースは異様に長い。曲がるのは至難の業だ。

 寝漕ぎ男の後ろにうつぶせ寝漕ぎ男がピッタリとつけている。ここぞとばかり、スリップストリームを利用して抜き去るつもりらしい。

 おかげで寝漕ぎ男が二人になってしまった。こうなると先述の寝漕ぎ男のほうを、あお向け寝漕ぎ男と言い直す必要がある。そしてあお向け寝漕ぎ男とうつぶせ寝男の漕ぎかたはまったくの別物だ。

 あお向け寝漕ぎ男が普通に足でペダルを漕いでいるのに対し、うつぶせ寝漕ぎ男は手でペダルを漕いでいる。頭を進行方向へ向けるとなると、自然とそうなるのだから何も不思議はない。

 二台の寝漕ぎ男の後ろから迫っているのは、船を漕ぐ眠り漕ぎ男である。これもまた同じようなものだと思われがちだが、「寝る」と「眠る」とでは本質的に全然違う。表現上紛らわしいが、当然船を漕いでいるわけでもない。言葉の綾というやつである。

 なにしろ眠り漕ぎ男は目を閉じている。もちろん表面的に目をつむっているだけでなく、しっかりノンレム睡眠に入った状態で自転車を漕いでいるのだ。それ以外は何の変哲もなく普通の漕ぎかたであり、特筆すべき点はない。

 これら五台のマシンをあっという間にごぼう抜きしてゆくのが死漕ぎ男である。死漕ぎ男もやはり漕ぎかたに目立った特徴はないが、その漕ぎ手は間違いなく死んでいる。

 そしていま彼らが走っているのは、谷底へと向かう下り坂だ。結局のところ、余計な力みのない者が一番速いということか。それは運動全般に当てはまる真理なのかもしれない。もしもこのまま下り坂に終わりがないのだとすれば。

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