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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「鶴太郎の恩返し」

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 むかしむかし、北の国の山奥に、とある老夫婦が住んでいた。ひどく雪の多い冬だった。

 ある日、お爺さんはたまの晴れ間を縫うように、森へ柴刈りに行った。森の奥へと歩いてゆくと、さっきからずっと鳥の鳴く声がしていることに気づいた。それは「キューちゃん、キューちゃん」という、なぜか「ちゃんづけ」の、九官鳥のような独特の鳴き声であった。

 お爺さんが声の聞こえるほうへ歩みを進めてゆくと、雪の中でもがき苦しんでいる、すこぶる富士額で骨太な鶴の姿が目に入った。鶴はその足を、錆びついた金属製の罠に挟まれて身動きできずにいるのだった。

 お爺さんが罠をはずしてやろうと苦戦していると、鶴の周囲に禿げ散らかしたヒヨコの一隊が集まり、鶴のまわりをよちよち歩きながらピーピーと鳴きはじめた。そのヒヨコらしい鳴き声に続く後半は、「ピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃガーガー」と日本語のような響きを持っていた。ヒヨコたちはどうも、鶴をリーダーと仰いでいるようだった。

 なんとか罠を解除してやると、鶴はお爺さんに丁寧なお辞儀をひとつして飛び去っていった。ヒヨコたちも、列をなして森の奥へと消えていった。鶴とヒヨコがあんなにも仲良くしているところを、お爺さんは初めて見たのだった。

 その日の夜、再び激しく雪が降りはじめた。老夫婦がいろりを囲んで夕食をとっていると、とつぜん山小屋の扉を叩く音が響き渡った。お爺さんが扉を開けると、そこにはまるで性格俳優のような、脂ぎった富士額の男が立っていた。 

 男は開口一番、「マッチでぇーす!」と元気よく名乗りをあげた。続いて目の前のお爺さんを「久米さん」と呼び、奥にいるお婆さんに「くぅろやなぎさぁぁーん!」と強く呼びかけて驚かせた。お爺さんもお婆さんもそんな苗字ではなかったし、あとで確認したところによると、男の名前も「マッチ」とはかすりもしない名前であるようだった。

 男は山道に迷ってしまったので、ひと晩泊めてほしいと老夫婦に事情を説明した。老夫婦は、この大雪の中をこれ以上歩き続けては死んでしまうと思い、男を泊めてやることにした。

 その日から、男はまるで実の息子のごとく、かいがいしく老夫婦の世話を焼いた。男はよく老夫婦に晩ご飯を作ってやったが、メニューはなぜかいつもおでんと決まっていた。

 男はまだできたての熱いおでんを、必ず煮えたぎる鍋から直接食べたがるので、そのたびにお婆さんから「まだ熱いよ!」と注意を受けた。それでも男はおでんをそのまま口内に投入し、「熱い!」と叫んでは、ちくわぶやらこんにゃくやらを口から勢いよく飛び出させるのだった。

「ほらほら、だから言わんこっちゃない」老夫婦は顔を見合わせて笑った。これをやると老夫婦は必ず笑ってくれるので、男はこれを他人を喜ばせるための芸として、あえてやっているのかもしれなかった。

 夕食を終えると、男はいつも遠慮して最後に風呂へ入ったが、風呂上がりに白ブリーフ一丁で家じゅうを徘徊する癖があるのには、老夫婦も少なからず困惑した。しかしその際に何度も口にしている言葉が、「ナイスですね~」という平和的な言葉であったため、老夫婦は特に心配には及ばぬ性癖なのだと判断し、気分が乗ると笛を吹くなどして応えた。

 やがてある日、男はお爺さんに、「街で〈動物の皮を赤く塗ったもの〉を買ってきてもらえませんか?」とぶしつけなお願いをした。お爺さんはすっかり男を息子のように思っていたため、彼の誕生日に〈動物の皮を赤く塗ったもの〉を買ってきてプレゼントしてやった。

〈動物の皮を赤く塗ったもの〉をもらった男は、たいそう喜んだ。そしてさらに、

「わたしに奥の部屋を貸してください。そして絶対に、ふすまを開けて中を覗いたりしないでください」

 ともうひとつお願いをした。老夫婦は、何かやりたいことがあるのだろうと思い、何も訊かずその願いを受け入れることにした。

 その日の夜じゅう、男は奥の部屋でなにやら作業を続けているようだった。トンカントンカンいう音が、家じゅうに響き渡った。老夫婦はいったい何をやっているのか気になりはしたが、やがてその心地よい音を子守唄代わりに、いつのまにか眠っていた。

 朝になると、部屋から出てきた男の両手に、真っ赤なボクシンググローブがはめられていた。男はそれらを取りはずしながら、お爺さんに言った。

「街へ出てこれを売ってお金に換えてください。いくらかにはなると思います」

 その日の夕方、街から帰ってきたお爺さんは、たいそう喜んでいた。男が製作したボクシンググローブが、驚くほどの高値で売れたのである。その報告を聞いた男は、「鬼ぃ~、鬼ぃ~」と、なぜか鬼をリングサイドから応援するような叫び声をあげた。それがいったいどのような感情を示す声であるのか、老夫婦には見当もつかなかった。

 しかし男はそれにすぐさま飽きた様子で、とつぜん何かを思いついたように次の願いを口にした。

「街で筆と墨と硯と和紙を買ってきてもらえませんか?」

 リクエストが急に増えたことに少々面食らったものの、翌日お爺さんが筆と墨と硯と和紙を買ってきてやると、男はまた夜中に部屋へ籠もり、次の日には立派な水墨画が出来あがった。お爺さんは言われたとおり、それを街で売って換金した。

 するとまた、今度は、

「街で半紙を買ってきてもらえませんか?」

 と男はお爺さんに発注した。お爺さんはすっかり慣れた調子で承知すると、街へ半紙を買いに行き、それを男に渡し、次の日の朝にはなんだかわからないが雰囲気のある毛筆の書を受け取った。

「ボクシングから水墨画への振れ幅を考えると、水墨画の次に書道というのは、やや意外性に乏しいな」

 すっかり男の手順を理解したお爺さんは、そんな辛辣なことを考えつつも、やはり言われるままに書を街で売り、思いがけない額の金に換えた。そして男はお爺さんに、

「街でろくろと粘土を買ってきてもらえませんか?」

 と次の頼みごとをした。ろくろはだいぶ値が張ったが、できあがった陶器が思いのほか高く売れたので、お爺さんに不満はなかった。

 街から帰ってくるなりほくほく顔で売上金を数えているお爺さんに、男は突如なにかを思いついたように言った。

「お二人にお願いがあります」

 いつもとは違う神妙な出だしに、老夫婦は揃って背筋を伸ばした。

「明日からは私に、食事を与えないでください。私は自ら用意した一日一食で、明日から生活をします」

 またぞろ何かを買ってきてほしいと言われるに違いないと決め込んでいたお爺さんは、この風変わりな要求にちょっと拍子抜けしたが、特に自分らの負担になる内容でもなかったので、異議もなく老夫婦はこれを承諾した。

 しかしその日から、男はまったく部屋から出てこなくなった。なにやらもぞもぞと体を動かしている音と深い呼吸音は時おり聞こえるものの、中で何をしているのか、老夫婦にはさっぱりわからなかった。

 それでも老夫婦は、次はどんな金になる商品が出来あがってくるのかと、毎朝楽しみにしていた。しかし男はいっこうに、換金できる何ものをも生み出してはくれなかった。

 そして一週間後の朝、とうとう痺れを切らした老夫婦は、早く商品をよこせとばかりに、二人で左右から同時に、勢いよく奥の部屋のふすまを開け放った。

 すると部屋の窓から、ガリガリに痩せた一羽の鶴が飛び立ってゆく姿が目に入った。鶴のあばら骨は、もうほとんど剥きだしになっているように見えた。

 お爺さんはとっさに、以前森の中で助けた富士額の鶴のことを思い出したが、あのときの鶴はこんなにガリガリではなく骨太な印象があったため、すぐにそれが同じ鶴だと気づくことはできなかった。

 それから老夫婦がともにガリガリに痩せ細り、当然訪れるべき餓死を迎えるまでにそう時間はかからなかった。二人はすっかりこの男であり鶴であるところの、つまり一般には「鶴太郎」と呼ばれる男の気まぐれな生産能力をあてにするようになり、自ら働くという概念を、すっかり失ってしまっていたのだった。


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