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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「アバウト刑事」

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 トレンチコートのようでトレンチコートでないような、いやコートとすら言えないかもしれないアバウトな上っ張りの襟のような一帯を立て、今日もアバウト刑事が事件の捜査を開始する。具体的にそれがどんな事件かと問われれば答えようがない。なぜならば彼は、アバウト刑事だからだ。

 とはいえ仕事は仕事。まずは現場へ急行しなければならないのが刑事の務めだ。しかし現場といっても、どこが現場なのかを特定するのは難しい。もちろんそれは、上司からの指示を彼がアバウトにしか聴いていないからだ。

「そんなことでは刑事の仕事は務まらないはずだ!」といったお叱りの声もあるだろう。だが彼がアバウト刑事として働き続けられているのは、至極アバウトな状態のまま業務を続けられているという現実があるからだ。問題があるとするならば、彼自身よりも、そんな彼を許してしまっている現実のほうだろう。

 しかしそう広くない管轄エリアのどこかに、現場は必ずあるのだ。アバウト刑事の辞書に「確認」の文字はない。そのぶん「馬耳東風」という言葉ならあちこちに載っている。上司に現場を確認しようにも、携帯のバッテリーは当然のように切れている。電池残量をいつもアバウトにしか把握していないからだ。

 とりあえず彼は闇雲に走った。刑事ドラマでそういうシーンを見かけたような気がするからだ。それがなんというドラマだったかはもちろんわからないし、警備員のドラマだったかもしれない。

 現場といっても、それがどんな事件なのかがわからないから、あちこちが現場に見えてくる。老婆がサングラスの男と話していれば振り込め詐欺の現場に見えるし、ボストンバッグを持っている人間を見かければ銀行強盗に、化粧の濃い美人がしょぼくれた男の半歩前を歩いていれば美人局に見える。そういうときに限って、その付近に銀行やラブホテルが見えてくるものだ。

 しかしここですぐに、「刑事の勘」などというありもしない能力に頼らないのがアバウト刑事のいいところだ。刑事の基本は気まぐれな勘などではなく、地道な情報収集にある。

 自分が追っているはずのなんだかわからない事件を特定するために、アバウト刑事は聞き込みを開始する。とりあえずそこらへんの店に踏み込んでは、同じ質問を繰り返す。

「ここらへんで、なにか物騒なことはありましたか?」

 アバウト刑事がそう訊くと、どこでも同じような答えが返ってくる。

「いえ、特には。逆になにかあったんですか?」

 質問に質問で返すなど愚の骨頂である。そうなると、もうひとつ質問で返すしか手はない。

「だから、そのなにかを訊いているんですよ」アバウト刑事は言った。

「いやだから、なにかあったから、なにかあったのかと訊いているんじゃないんですか?」店主も負けてはいない。

「じゃあなにもなかったら、なにかあったのかと訊いてはいけないんですかね?」

 アバウト刑事の聞き込みは、このようにいっこうに前へ進まない。呆れた店主が背を向けると次の店へと移動し、また同じ問答を繰り返すだけだ。

 そうやって何軒か聞き込みを続ける途中、商店街を歩くアバウト刑事の目の前を、全身黒づくめの男が全速力で駆け抜けた。アバウト刑事は、条件反射的に走って男の後ろ姿を追いかけた。事件の現場は、こうやって移動してゆくことも珍しくないからだ。

 二人して街中を走りまわった末、アバウト刑事はようやく男を袋小路へ追い詰めた。立ち止まってこちらを振り返った男の手には、なにやら黒いものが握られていた。アバウト刑事は咄嗟に叫んだ。

「その手に持っているなにかを捨てろ! さもないと、なにかするぞ!」

「なにかって、なんだよ!」

 犯人らしき男は、アバウト刑事のアバウトな言い草に対し、やはり思わず質問に質問で返してしまった。

「なにかって、その持っているなにかだよ!」

 アバウト刑事は答えているつもりだが、まったく答えにはなっていない。

「そっちのなにかじゃなくて、お前がするなにかがなんだって訊いてんだよ。俺のなにかじゃなくて、お前のなにかだよ!」

 男は言っているうちに自分がなにを言っているのかわからなくなってきた。

 アバウト刑事はジリジリと距離を詰めながら言う。

「俺のなにかは、時と場合によるんだよ。お前がその持っているなにかでなにをするかによって、俺がお前になにをするかが決まってくるだろうな」

 男はアバウト刑事の説明にだいぶ混乱しているようだったが、かなり時間をかけて考えた末に、ようやく抜け道を見つけたといった感じで言った。

「じゃあ、俺がなにもしなかったら、お前もなにもしないということか?」

 アバウト刑事は答えた。

「お前がもしなにもしなかったら、俺はそのなにもしなかったことにふさわしいなにかをするだろうな」

「畜生! じゃあ俺は結局、なにかをしてもなにもしなくても、どっちにしろお前になにかをされるんじゃないか!」

 アバウト刑事の無理問答のような応対に自暴自棄になった男は、もう考えることに疲れ果ててその場にへたり込んでしまった。

 するとアバウト刑事は、意外なことに男に背を向けて静かにその場を立ち去ったのだった。彼が男に対するリアクションとして選んだ「なにか」とは、立ち去るという行動だったのだ。

 それは彼が徐々に相手との距離を詰めてゆく中で、男が手に持っていた黒いなにかが危険な黒いなにかではなく、危険でない黒いなにかであると確認できたからであった。それがなんなのかは、結局のところわからなかったけれど。


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