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映画評『パラサイト 半地下の家族』

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この作品、とにかくTwitterで僕の信頼している映画好きの人たちが絶賛していて、居ても立ってもいられず観に行ってしまった。そういう場合、鑑賞前に期待のハードルが上がりきって越えられないことが少なくないが、本作に関しては見事に越えてきた。

〈半地下で貧乏生活を営んでいた家族が、ひょんなことから金持ち一家にまるごと寄生する〉ストーリーの軸は大まかに言えばそれだけの話なのだが、このシンプルな軸が全体の構図をわかりやすく、開かれたエンターテインメントとして確立させている。

全体的にニッチで文字通りアンダーグラウンドな雰囲気を纏っているにもかかわらず、カンヌを獲っただけでなくアカデミー賞にもノミネートされているという事実は、この格差社会を「地上 vs 地下」という構図に落とし込んだミニマムな構成によるところが大きいだろう。

結果、マイナーな観客に深く刺さることも、メジャーな観客に広く楽しまれることも可能な全方位型の作品に仕上がっている。この両立がすこぶる難しいことは言うまでもない。

物語は基本的に「地上=富裕層」「地下=貧困層」という対立構造で進んでゆく――のは間違いないのだが、しかしこの本来次元の異なる両者が、実のところ地下という一種現実離れした場所を通じてつながっているというのは、見落とされがちな点であるかもしれない。

地下というのはたしかに、貧しい者たちの生活空間ではあるが、一方で「地下室のある家」と考えてみると、これは金持ちの家を連想させる。前者には下水の臭いが漂うが、後者には豪邸の地下に設けられたシアタールームの高級感が漂う。

ましてや韓国の富裕層は、北からの脅威に備えて核シェルターとしての機能を備えた地下室を持つ文化があるという。つまり貧困層にとって地下は不安の象徴であるが、金持ちにとってそれは安全の象徴にもなり得るということだ。

さらに言えば、貧困層と最もつながりを持つのも富裕層である。本作にもあるように、運転手や家政婦など、金持ちは身のまわりに人を直接雇用するからだ。

富裕層の周辺には多くの雇用←→被雇用の関係が生まれ、それは会社を通してではなく、多くの場合個人的に契約を結ぶ。両者はまったく別の人種に見えながら、実は密接な関係を持っているのである。逆に中流階級の人間には他人を雇う余裕などないから、つきあう相手もみな中流同士であって、貧困層との接触機会はむしろ少ないだろう。

この作品を観ていると、前半は格差社会を笑い飛ばすコメディとして純粋に笑えていたものが、終盤に向かうにつれシリアスかつグロテスクに胸へ突き刺さってくるようになる。

それは当初正反対に見えていた富裕層と貧困層という二種類の人間から、同じく地下という場所を必要とする共通点を持ち、また雇用関係により互いの臭いを感じるまでに接近した結果として、同種のグロテスクな人間性が立ちのぼってくるからなのかもしれない。

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