泣きながら一気に書きました

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書評『東京モンタナ急行』/リチャード・ブローティガン

東京モンタナ急行

東京モンタナ急行

この世にブローティガンほど「当たり外れ」の激しい作家はいない。にもかかわらず、「外れ」に当たってもなぜか損した気分にならないのがブローティガンの凄さである。

短編小説は一般に、当たり外れの激しいものとされる。どうしてもワンアイデア勝負になりがちであるため、その一撃が外れてしまえば何も心に残らない、というのは当然のリスクであるかもしれない。

この『東京モンタナ急行』は、いつものブローティガン作品同様、小説とエッセイの中間をいくような、とりとめもない短編小説集である。ただその日に見かけた出来事を描写しただけの日記的文章もあれば、ひねりの効いた設定のフィクションもある。

つまり、それぞれの短編に込められた熱量や作り込み度合いがバラバラなのだが、それもまたいつものブローティガン作品の特徴であって、読み手が「当たり外れ」を感じる要因になっている。

結果、一編ごとのクオリティは不安定だが、作品ごとのクオリティはいつも安定している、という不思議な状況になっている。ある種、「ひとつの作品内における不安定さ」が常時一定なのである。

個人的に、文章にしろ映画にしろ音楽にしろ、「雰囲気で好きになる」ということがない。きっとブローティガン作品がまとっているこのお洒落な雰囲気に丸ごと酔える人は、この一編ごとの「当たり外れ」はほとんど気にならないだろう。彼の文体には、読者を丸ごと取り込んでしまう包容力が確かにある。

あえて陶酔しないように気をつけながら読んでいる、というわけではない。だが普通に「面白い文章が読みたい」というプレーンな気持ちでブローティガン作品に接するとき、一編ごとの濃淡があまりに大きいというか、明らかに「薄い文章」が所々混じっていることに気づかずにはいられない。

しかしもう一度言うが、普通であれば許しがたく感じてしまうそんな「薄い文章」が、彼の作品集においてはなぜか許せるというか、むしろ「必要悪」であるような、それなしには彼独自の空想力はじける濃いパートも生まれ得ないような気さえするのも事実なのである。

そう考えると薄い「外れ」の文章は濃い「当たり」の文章を生むための助走である、とでも言いたくなるが、そのような一般論に落とし込むのもなんだか違うような気がしている。それに読んでいると、作者自身はむしろ、あまりフックのない「薄い文章」のほうをこそ愛しているようにも感じられるのである。

本というのは読み手の状況やレベルにも左右されるものなので、僕がいま感じている「当たり外れ」が、いつの間にかそっくり逆転したり、急にフラットに感じられたりする日がいつか来るような気もしている。

それはそれで楽しみでもあり、そうやって読み手の価値観を常に不安定な状態に設定してくる作品こそが、繰り返し読む価値のある作品であるということなのかもしれない。

というわけで、いつでも読めるように、どうかこの『東京モンタナ急行』を再版してください。アマゾンマーケットプレイスの現状約2万円という価格はさすがにふっかけすぎだが、良心的な古書店でも7千円くらいする有名な絶版商品。図書館で借りた一冊は、すでにはち切れんばかりの代物で。

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