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短篇小説「河童の一日 其ノ十五」

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夕方、雨が降ってきた。ゲリラ豪雨である。でも傘は差さない。僕は河童だから。

いや本当は差したい。いくら河童とて、ずぶ濡れは嫌だから。でも河童が傘を差していると笑われるから差せないのである。もう一度言うが本当は差したいのだし、甲羅と背中の間に折りたたみ傘だって入ってる。開いたことは一度もない傘。

「おい、全然話が違うじゃないか!」

近ごろ雨の日に外を歩いていると、だいたい日に一回はそうやって言いがかりをつけられる。違うもなにも、話したことのない初対面の人からいきなりライアー扱いされるのである。今日も少し背の高い、カブトムシのような男からイチャモンをつけられた。

「8月なのにまだ梅雨終わってねえだろこれ。なんとかしろよ」

またか、と思いつつ、僕は精いっぱい困った顔を作り、「すいません」と「ごめんなさい」の中間的な発音の言葉をボソッと呟いたのちそそくさとその場を去る。僕はたしかに湿気がないと生きていけない河童だが、もちろん気象予報士でもなんでもない。もちろん「皆さん、梅雨が明けましたよ!」と差し棒を我が物顔で振り回しつつ大々的に発表したことなど一度もない。

なのに体が湿気ているというだけで、雨の予報くらいできるに決まっていると、なぜか人間に思われているようなのである。いや雨予報どころか、河童こそが雨を降らせていると思われている節すらある。だとしたらこいつの上にだけ降らせてやりたい。

できればお天気お姉さんとつきあいたいという気持ちは結構ある。それだけは言っておきたい。しかしそれは僕に気象予知能力があることを意味しない。単に僕が、天気予報を良く見ている健全な男子だというだけである。

しかしここまで言われると、逆に僕ら河童が「雨乞いの儀式」でもやれば、それなりに儲かるんじゃないかという気もしてくる。棒の先にひらひらのついたハタキ的なやつを振り回して、呪詛のように平坦なライムを繰り出せばそれっぽくなるのではないか。棒状のものを振り回すという意味では、気象予報士レインメーカーもさほど変わらないのかもしれない。

そんなことをヘッドソーサーの内側で考えているうちに、夏休みの宿題の絵日記を進めようと考えていたことを思い出した。夏休みといってもどうせたいしたことは何も起こらないので、先のことまでまとめて書いてしまおうという魂胆である。すでに十日先まで書いてあるので、いっそ全部終わらせてしまおうと思っていたのだ。

家に着くとさっそく日記帳を取り出し、続きを書き進める前にふと気になって、今日の出来事を事前に何と書いてあったのか確かめてみた。日記によると今日僕は市民プールに行っていることになっていたから、内容的には全然当たってない。今日はコンビニにアイスを買いにいっただけだ。

しかしその日の天気記入欄に書いてある「くもりのち雨」というのは当たっていて、そこで「もしかして」と思った。念のために直近十日分の天気記入欄をネットの天気予報と照合してみたところ、すべて完全に一致していてぞわっとした。

僕は気象予報士になるために生まれてきたのかもしれない。もしくは雨乞いの儀式で荒稼ぎするために。

そんな野望に胸をふくらませていたら、買い物から返ってきたお母さんに「なんで洗濯物取り入れてないの!」と叱られてシュンとなって。

河童が服を着ると間違いなく濡れるけど、河童だって着る瞬間には乾いた服を着たい。濡れた服を着るのと、着ている服が濡れていくのとでは全然意味が違う。

そんなことを言ってみたところで、傘を差す河童を笑う人たちは、誰もわかってはくれないんだろうな。わかっても好きになってはくれないんだろうな。だからきっと明日も雨。


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