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短篇小説「号泣家」

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私は奇妙なことに、泣きながら産まれてきたのだとのちに母親から聞かされた。私がそんな奇抜なスタイルで産まれてきたのは、きっと両親が泣きながら出逢ったからだ。

産まれてこのかた、私はずっと泣いている。何をするときも確実に泣いている。飯を食うときも風呂に入るときも屁をこくときも泣いている。水分はわりとこまめに摂るほうだ。

朝起きたらもう泣いている。きっと寝ている間もずっと泣いているのだろう。しかしよく訊かれるのだが、その涙は悲しみとは基本的に関係がない。なぜならばこの世に生を受けたときも、特に悲しくはなかったように思われるからである。

もちろん産まれた瞬間の記憶などあるはずもないが、もしもまさにいま自分が産まれんとしているその時、産まれること自体に悲しみを感じていたとしたら、じゃあ産まれてなんてくるなよ、としか言えない。

まだ言葉もない赤子が、仮に産まれることを「悲しいこと」として捉えていたとするならば、それは赤ん坊が予知能力を持っていることを自動的に意味するだろう。まだこの世で何も体験していない段階で泣くということは、この先に起こるであろう悲劇を予想して泣いているということになるからだ。

私は産まれるとき、本当に泣いていたのだろうか。あるいは私ではなく母親が、いやむしろ世界が、たとえば全米が泣いたのではないか。

しかしアメリカ人の友達に確認したところ、かつてすべての米国民が全員同時に泣いたという事実は一度もないという。映画配給会社の嘘つきめ。

雨の中、傘を忘れた私が泣きながら歩いていると、向こうから同じく傘も差さず泣きながら歩いてくる女性と目が合った。私はこの人と結婚するのかもしれない、と思った。そうすれば、私たちのあいだに産まれる子供は、きっと泣きながら産まれてくるはずだ。

しかし残念ながら、顔がタイプじゃなかった。こればかりはどうしようもない。


プリズナーズ・イン・パラダイス

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