◆リッチーの不在が呼び込んだ、思いがけぬ歌メロの充実
バンドといえば、「複数の個性が混ざり合うことによって生み出される何か」を誰もが期待する。それはBON JOVIのように、個人名を掲げたバンドでも変わりはない。BON JOVIはやはり、ジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラのバンドだった。
良くも悪くも、リッチー不在を強く感じる作品である。ただしその印象は、徐々にマイナスからプラスへと変わっていく。いわゆるスルメ盤と言ってもいいかもしれない。アウトテイク集のようだった前作『BURNING BRIDGES』を純然たるアルバムとしてカウントするかは悩むところだが、それを除けばリッチー脱退後初のアルバムということになる。
聴きはじめた当初は、とにかく「あるべき場所にリッチーのギターがない」という不在感が強い。それっぽい音色のギターにより穴埋めされてはいるものの、明らかにギター・ソロは大幅に削減され、その存在は軽視されている。
そうなればこの作品は当然、ジョンのソロ・アルバムのような作風になると危惧するのは当然だろう。単純な引き算であれば、理論上そうなるはずだ。しかし結果としてこのアルバムは、ジョンのソロ作のようにはまったく聞こえない。むしろリッチーがいた頃の『LOST HIGHWAY』あたりのほうが、ジョンのソロ風味、つまりカントリー臭は強い。
音色上は単純な引き算(つまりリッチーのギター抜き)が成立しているように聞こえるが、曲自体の魅力に関してはそのような引き算は当てはまらない。
これはまさに「バンドという混合体」の不思議な魅力でもあるのだが、「誰かがいなくなれば、ちょうどそのぶんだけ魅力が失われる」とは限らない。それと同じく、後から加わったメンバーが、前任者の穴をジャストサイズで埋めあわせる、とも限らない。
別にバンドに限ったことではなく、サッカーのチームでも会社組織でも、そういった単純な入れ替わりが思いがけない成果を生み出すことは珍しくない。結果的に本作は、ここ数作の中では、もっとも楽曲平均レベルの高いアルバムになっている。
最初はとにかく、楽曲のバリエーションの乏しさが気になった。楽曲は大きく分けて「ほどほどの疾走曲」と「牧歌的なバラード」の二種類で、後者は近作の例に漏れず退屈な楽曲で占められている。そもそもあまりバラードが得意なバンドという印象はないが、それらは雰囲気を変えることだけを目的に置いてあるような、場つなぎ的役割しか果たしていない。全体の曲数も多すぎるので、バラードを数曲削るべきだっただろう。
しかし前者の「ほどほどの疾走曲」のほうは、これが本当にちょうど「ほどほど」で、音色もテンポもかなりワンパターンではあるのだが、聴き込むほどに不思議と沁みてくるのである。そして最初は「似たような曲が多いな」と感じていた楽曲群の、個々の味わいの違いがだんだんと明確に感じられるようになってくる。
それはおそらく、ここ数作に比べて、慎重かつ丁寧に歌メロが練られているからだろう。そういう意味では、リッチーの脱退がバンドに対し、逆にカンフル剤的な効果をもたらしたと言えるかもしれない。「リッチーのギターにはもう頼れない」と痛感したその時点から、「それをカバーして余りある歌が必要だ」という覚悟がジョンの中に生まれたのではないか。
メンバー交代による構造の変化は、時に思いがけぬ効果をバンドにもたらす。BON JOVIは早くも、リッチー抜きでの新たなバランスを見出したと言ってもいい。
ディス・ハウス・イズ・ノット・フォー・セール -デラックス・エディション(初回限定盤)(DVD付)
- アーティスト: ボン・ジョヴィ,ジョン・ボン・ジョヴィ,ビリー・ファルコン,ブレット・ジェームス
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2016/11/04
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る