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不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「河童の一日 其ノ四」

「河童も恋をするの?」という質問を近ごろよく受ける。芸能人が立て続けに結婚を発表しているせいだろうか。YES,もちろん河童だって恋をする。カラオケに行けば、渡辺美里の「恋したっていいじゃない」も歌う。「MAJIでKOIする5秒前」は歌ったことがない。それは別に河童が恋をしないというわけではなくて、単にちょうど恋する5秒前にカラオケボックスにいたことがないってだけの話。たいてい気づいたときには、もうはじまってるんだよね、恋って。

となれば、次に来る質問は「河童は河童に恋をするの? それとも人間に?」というものと相場が決まっている。それに対しては、やっぱり「相手による」としか言えない。河童男子にとって「河童女子」と「人間女子」の違いっていうのは、たとえば日本人男性にとっての「日本女子」と「米国女子」の違いほどもなくて、いうなれば「静岡女子」と「千葉女子」の違いぐらいしかないってことに、このあいだ人間男子の友達と話してて気がついた。

つまり、河童か人間かっていう属性の違いは、あくまでも恋愛感情のうえではその程度の要素でしかなくて、正直「タイプだったらどっちでも構わない」ってのが正直なところ。だけどどうやら、人間女子から見ると河童男子はまったく恋愛対象には入らないらしく、「生理的に無理!」ってよく言われるけどね。

そんなこんなで、今日もお気に入りの人間女子にフラれたからこんなことを書いている。よく河に石を投げ入れてくる子で、たまに僕がキャッチして投げ返したりもしてて、そうすると彼女もさらに強く投げ返してきたり。「これってつまり、恋のキャッチボールが成立してるってこと?」とか思ってたんだけど、いま考えてみると、単にいじめというかストレスの捌け口というか、行為としては「スナイパーに狙われてた」っていうのが一番近いのかもしれない。彼女、全盛期の北別府ばりにコントロール良かったから。

「フラれた」っていっても実際には告白するところまでも行けなくて、接近してみたらありがちな叫び声をあげつつ背を向けて逃げられる、っていうお決まりのパターン。「遠くにいるぶんにはいいけど」とか、よく言われるんだよね。距離感って大事。

今は河原に、彼女が投げ込んできた歴代の石たちを石垣のように積み上げながら、完全防水のスマホでこの文章を書いている。このまま河の氾濫を止められるほどの壮大な堤防を組み上げることができたなら、少しは人間女子にも気に入ってもらえるだろうか。

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