泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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高くなるんなら、安くしてほしい

当たり前のことを堂々と言う人に憧れぬ。「る」と打とうとしたが指先は「ぬ」へ逃れた。脊髄に嘘がバレたらしい。

先日テレビを観ていたら、牛タンが値上がりしているというニュースをやっていた。他のあらゆる食べ物の値上げ予測と原因は一緒で、やはりオーストラリアの異常気象による影響らしい。

オーストラリアの牛の舌が減っている。牛が嘘をついたせいで閻魔様に舌を抜かれている、という説も考えられるが、一方でまた二枚舌という言葉もある。嘘に舌はつきものらしいがなくなるのか増えるのかハッキリしてほしい。閻魔様も二枚舌を引っこ抜くのは面倒臭いから、人員増あるいはギャラ倍増を要求してくるだろう。正当な要求だと思う。だがどちらにしろそういう問題ではなく異常気象が原因だ。

ニュース番組のリポーターは、当然の流れとして牛タンチェーン店へと取材に行く。まずは店主に話を訊き、それから客に話を訊く。常連客らしき男(20代サラリーマン風情)は、わりとわざわざ言ってる感じで、いかにも俺だからこその意見という顔で、言う。

「ちょっと来づらくなりますよね。やっぱり安いほうが、来やすいですからね」

当たり前だ。非の打ちどころのない正しさだが、当たり前だ。しかしちょっと救いがあるのは、「来づらい/来やすい」という言葉のチョイスに、若干の個性が息づいている点だ。まあ別に、値段に関係なく来るには来られるわけで(店に来てメニューを見て値段に納得がいかなければ、頼まずに踵を返せばいい。そんなこと普通はしないが)。むしろ電車賃が一万円になったり、店の前に牛の死体が多数転がってたりするほうが来づらいだろう。

しかし何より問題なのは、後ろの一文がまったく不要であるいうことだろう。前の文さえ言われなくともわかりきっているというのに、それを補強する一文をつけ加えるということは、訊き手(あるいはその向こうにいる視聴者)が前の一文だけでは理解できるはずがないと、発言者の彼は判断したということになる。

とはいえ実はそれでも、彼はまだ良かったと言わざるを得ない。当たり前の上には、いつもさらなる当たり前がある。次にマイクを向けられた別の若者(大学生っぽい男)は、さらに一枚上をゆく当たり前のことを、意味ありげな間を置いた末に口走ってくれたのだった。

「なるべくなら、安くしてほしいですね」

彼は資本主義を完璧に理解している。

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