泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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図書館あいさつ戦争

よく図書館で本を借りる。

たとえばレーモン・クノーの『はまむぎ』とか、後藤明生の『蜂アカデミーからの報告』とか、そういう絶版本が予約さえすれば借りられるのは助かる。別に何が助かるわけでもないのだが。

そういえば両方とも一度は借りたものの最後まで読めていない。しかし返してしばらくすると頭の隅に、あと1ページ読めばその本の全部が面白くなるような予感と未練だけが残っている。そういう本は買った方が良いんだけれども、なかなか手に入らない。別にいま読む必要はないと言えばないのだが。

しかし読んで助かるわけでもさしあたって読む必要があるわけでもない本こそが、何かしらのレベルを上げてくれるような気がずっとしている。何のレベルかはわからない。しかし読まないとレベルが下がってくるような気がするので、たぶん読んでレベル上げしなきゃいけないんだと思う。何のレベルかはわからない。

ちなみに状態の良い本が好きなので、図書館で借りた本はあまり触る気がしない。ポテトチップスの欠片が挟まっていたりすると心底げんなりする。僕の中には図書館とのそういう静かな戦いがある。しかしこちらは「借りる」という立場なので、最初から負けは決まっている。

さて。図書館へ行くといつも迷うのだが、本を借りる際に、借り手である僕はいったい何と言えば良いのか。たぶん向こうの図書館員の人も迷っているのだと思う。何しろこれは商売ではないから、どちらともお礼を言われる筋合いはない。

しかし状況的には、本屋さんで本を買う動きに近く、それが錯覚の引き金となる。中でももっともいけないのは、こちらが借りる際に差し出す貸出券を、財布から取り出してしまうという動作である。お金の入っている場所から取り出されたものは、それはもうお金である。いや感覚的に。カードだとしたらクレジットカードかポイントカードだが、前者ならまさにお金同然であり、後者ならばポイントで払うか、あわよくば何かしらのポイントがつくような気さえしてしまう。

となると、「ありがとうございました」とか言ってほしくなるのだが、向こうは向こうでお金を受け取っているわけではないから、なかなかそうは言ってくれないし、たぶん言う場面でもない。何しろ向こうは「貸している」のだから。たしかに銀行や消費者金融で借りればハッキリとお礼を言われるだろうが、それはその後に払わされる利息に対してのお礼であって、貸したことに対するお礼ではない。

というようなことを考えた結果、本を受け取る際には毎度、すごく曖昧な会釈をお互いにするともなくしたりしなかったり、「どうも」という万能ワードを発したりしてみる。たまに「ありがとうございます」と言われることもあるような気がするが、それはそれで「どうも」としか言いようがない。

そしてもちろん返す際にも、同様の問題は起こる。これはこれで、借りた物を返すのは当たり前のことであって、特に褒められた行為でもないので、「ありがとう」と言われると心底困る。こちらとしてはとりあえず、何も言わず不機嫌な奴だと思われるわけにもいかないので、「お願いします」とかなんとか呟いて本を返却カウンターに置くのだが、何をお願いしているのだかは知らない。

いっそのこと『やるき茶屋』方式で、空虚に「よろこんで!」とシャウトしてもらったほうが楽なのかもしれない。万が一そう言われたら、やっぱり「どうも」としか言いようがないのだが。

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