泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『BLACK GIVES WAY TO BLUE』/ALICE IN CHAINS 『ブラック・トゥ・ブルー』/アリス・イン・チェインズ

あまりに思いきりの良い守りっぷりである。ここまで保守的な復活作というのは、むしろあまり例がないように思う。新要素をひとつも付け加えないその姿勢には、秘伝のスープを継ぎ足し継ぎ足し守り抜く名門ラーメン店の頑固さがある。

というのは明らかに言い過ぎで、おそらくそれほど意識的に守備に徹したわけではないのだろう。というよりは、本人らがいくら攻めようとも、いまのヘヴィ・ロック・シーンの状況がそれを許さない。なぜならば彼ら最大の武器である圧倒的ヘヴィネスは、すでにいまのヘヴィ・ロックのデフォルトになってしまっているから。いまのリスナーは、もうこの「重さ」に衝撃を感じることはできない。

たぶん彼らは、この14年ぶりとなる新作で、もはやシーンに衝撃を与えることはできないと、感覚的にわかっていたのだろう。それはあまりにリアルで賢明すぎて、アクセル・ローズが選び取れなかった選択肢でもある。

しかし彼らの武器は、もちろん「重さ」だけではない。彼らがアンプラグド作品で初めて全米No.1を獲得したという過去は、けっして偶然ではない。ヘヴィネスの裏に隠されたポップさキャッチーさこそが彼らの最大ではないが本当の武器であり、少なくともアメリカのファンはそこに気づいていたということだ。日本での過小評価は、多くのリスナーがヘヴィネスの壁に弾き返されてその奥にあるメロディにまで辿り着けなかったのが原因だろう。

本作を聴いて改めて感じるのは、そもそも彼らの音楽は明るいのではないか、ということである。重いのだが、暗くはない。それはAICの最暗部であったレイン・ステイリーがここにいない、というせいでももちろんあるのだが、もともと彼らには、どこか根底に明るさを感じさせる部分があった。それはグランジ勢の中でも、彼らがもっともメタル寄りだという出自のせいかもしれないし、関係ないかもしれない。

新Voの、レインに似ているという以外にはあまり癖のない素直な歌声が、重さの奥底からポップなメロディを引っぱり出すという役目を果たしている。楽曲を生かすという意味では悪くない人選であり、ジェリー・カントレルが自ら歌っていたソロ2作目も、そういう作品であった。つまりこの歌声に、特に必然性はない。しかしこの声とこの音楽の相性が良いこともまた、間違いがない。

2ndや3rdにあったような名曲はここにはないが、楽曲クオリティの平均値としては2ndの次に高いアルバムかもしれない。しかしどんな時にこの作品を聴くかと考えてみれば、思い当たるシーンが特にはないような、そういう地味な作品ではある。

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