泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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圧倒的売り上げのみが作りだすことのできる渦、好き嫌いを越えて〜村上春樹『1Q84』を聴く〜

村上春樹1Q84』に関して、すでに書評集のようなものも出ていますが、とりあえず無料でいろいろな意見を聴きたいという方は、以下の仲俣暁生氏のブログで紹介されている2つのポッドキャストを聴くと良いと思います。(いちおうここでもポッドキャストへのリンクを貼っておきます)

↓海難記(仲俣暁生氏ブログ)
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090717#p1

↓文化系トークラジオ Life(ポッドキャスト「Life番外編『1Q84』」Part1&2)
http://www.tbsradio.jp/life/index.html

↓建築系ラジオ r4(ポッドキャスト「テーマ討議 村上春樹1Q84』」全5回)
http://tenplusone.inax.co.jp/radio/

「『1Q84』はいろいろな読み方ができる小説である」というのも事実なのですが、ある程度レベルの高い文学作品であればいろいろな読み方ができるのは当たり前。なので、この場合はむしろ「みんながそれぞれの解釈をわざわざ発表したくなる、あるいは発表せざるを得なくなっている」状況であると考えた方が正確だと思います。

それは、良し悪しにかかわらず、とんでもなく売れた作品の周囲にのみ発生する磁場のようなもので、ひとつの作品に対しこれだけ議論百出するというのは、作品自体の価値というより、作品(の驚異的な売れ行き)が生み出したその稀有な状況にこそ価値があるのではないかと思います。

趣味が細分化してゆく時代においては、多くの作品が個人の単なる好き嫌いで判断されます。しかしこういった大ヒット作の周囲においては、単なる「全肯定/全否定」のアバウトな二元論だけではなく、その間の様々な地点に位置する読み手が無数に現れてくる、というのが非常に面白いと思います。それはファン以外の多くの人が作品を手に取らない限り起こりえない事態で、だからこそ、売れた作品には、売れた作品にしかまとえない意味がある、と。

しかしもちろん、「量」と「質」は、基本的には関係がありません。多くの人に愛されたからといって、その作品が深く愛されたということにはなりません。かといって、「広く浅く」と「狭く深く」の二者択一でもない。「量」は単純に社会現象として捉え、「質」だけを見極める議論こそ、作品の本質を捉えるために必要なスタンスだと考えます。そういう意味で、両番組ともに、非常に興味深いトーク内容になっていると思います。

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