泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『1Q84』/村上春樹

ファンタジーにしては現実的すぎ、ミステリーにしては現実味が足りない。純文学にしては物語的すぎ、エンターテインメント小説にしては文体がまどろっこしい。社会派小説にしては軽すぎ、ユーモア小説にしては重すぎる。あらゆる意味で中間的な小説である。

そもそも村上春樹とは、中間的な存在である。だからこそ売れたとも言えるし、だからこそ文壇からの評価を得にくかったと言うこともできる。だがこれまでの彼は、なんだかんだ言ってもいちおうは純文学畑に根を下ろしていた。出自が「群像新人文学賞」だというのが逃れられぬ鎖になっていたし、ラストに結論を出さない(というか結論に「興味がない」)その物語構造は、エンターテインメント畑には受け入れられがたいものがあった。

だから彼の小説はこれまで常に「最大限エンタメよりの純文学」であった。「純文学よりのエンタメ」ではなく。なんだか春樹文体がうつっているような気もするが、気にしない。気にしない…。

しかしここ数年の間に、エンターテインメント小説の側が、主にセカイ系ライトノベルの勢力拡大によって純文学畑にクロスオーヴァーしてきたことにより、村上春樹は本作においてようやく、堂々とエンターテイメント畑に根を伸ばすことができた。そもそもセカイ系ライトノベルとは、間違いなく村上春樹(あるいは彼が影響を受けた外国の作家たち)の影響を受けて出現してきたジャンルであるから、その流れに本家本元が乗ること自体に不自然なところは何もない。

とはいえ、この「どちらに根ざしているか」という問題、言い替えれば「入口」と「出口」の問題は、本作においてものすごく大きい。それは致死的なまでに(わざと春樹)。

つまりは読者の気分の問題になってくるのだが、読者の気分というのは、主に入口で決定される。途中で変更することは、よほど能動的な読者でない限り難しい。

物語においては、一般に入口の段階で、ある「主題」が提示される。それは何らかの問題であることが多く、何よりもその問題を解決するために読者は読み進めることになる。その主題が物語全体を貫き通すものがエンタメ小説であり、主題がころころ変わったり、巧妙にはぐらかされたり、あるいは実のところそんなもの最初からなかったりするのが純文学である(その場合、主題はないように見えて、その小説に出てくるもの全部なのかもしれない)。

今回村上春樹は初めて、前半で提示される重い重い主題に対して、真正面から向きあうことを選んだ。少なくとも2巻の中盤までは。それは間違いなくエンタメ小説の姿勢であり、古典的ミステリー小説の構造である。得意の「はぐらかし」は彼にしては最小限に抑えられ、真っ当に状況を説明する文章が続く。そしてそれは彼が長年向き合ってきた問題でもあるため、間違いのない取材に基づく記事のように、強靱な説得力を持つ。読者はその主題を前にともに苦しみながらも、その内容に猛烈な力で惹きつけられる。

だが問題は2巻の後半だ。そこへ来て、小説は徐々にいつもの「はぐらかし」に頼るようになり、あらゆる問題はファンタジーの世界に宙づりにされる。物語前半の精緻な事実関係の描写が効いていたぶん、後半におけるそのアバウトな説明と雰囲気会話の手触りは、いつも以上に彼の小説をいい加減な作品であると感じさせてしまう。

ならば最初から、答えを出すふりなどしなければいい。答えを持っているふりをして興味を惹きつけておいて、結局のところ何もわからないというのは、読者に対する裏切りであると思う。だからこそ、すぐれたエンタメ小説は何かしらの結論を出すし、質の高い純文学は、最初から「これ読んでも何もわかりませんよ」という顔をしている。今やそこはかなりクロスオーヴァーしているので、その逆ももちろんありうるが、答えがあるように見せかけておいて「やっぱりなしよ」というのは、どちらにしろ読者にとって満足のゆくものではない。

2巻の後半は、どうにも物語の主題を処理しかねて、キョロキョロと着地点を探している印象がある。いっそ結論を放棄するならば、堂々と「わかんない顔」をして右往左往すれば良いのだが、そこで「わかんない顔」をしないところが村上春樹のダンディズムであり、その「できないとはけっして言わない」肩ひじ張った格好のつけかたは、どうもあの世代(団塊の世代)に共通のものであるような気がする。良い意味でも、悪い意味でも。

素材としては、ファンタジックなリトル・ピープルの部分は、文字通り「TVピープル」的な短篇として処理するのが相応しく、その他のワイドショー的現実要素は、長篇でしか対応しきれないものだろう。その両者の要素が共存して長篇小説を形成しているのはいつもの村上春樹だが、今回は後者の要素がいささか大きく重すぎた。致死的なまでに(…)。

だがこの物語の持つ吸引力は凄まじく、個人的には物語というもの全般にしばし興味を失っていたにもかかわらず、かなりのめり込んで読むことができた。しかしその先に虚しさしか待っていないのはいつもの春樹作品以上で、それはこの尋常でない分量と、この作品につきあった時間の長さのせいもあって、どこかしらRPGをやり遂げたときに感じる強大な虚しさに通じるものがある。

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