泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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『SYSTEMATIC CHAOS』/DREAM THEATER 『システマティック・ケイオス』/ドリーム・シアター

DREAM THEATERとえば、プログレッシヴ・メタルの開拓者にして、すっかりその手の絶対安心ブランドと思われている向きがあるが、個々の作品を見てみれば思いのほかその出来不出来の差は激しい。とりわけ近作における手詰まり感は、見逃すことができない。

その原因は、とにもかくにも印象的なメロディを作れなくなっていることにある。むしろ問題はそのただ一点にしかないと言ってもいい。ど真ん中にあいたその唯一の弱点を覆い隠すために、さまざまな小技が張りめぐらされている。だがそれらはみな、まやかしのバリケードに過ぎない。楽曲の核をなすメロディが優れていてはじめて、あらゆる小技は有機的に機能する。素材の悪さを料理人の腕でカバーすることには、当然遠からぬ限界が見える。

2nd『IMAGES AND WORDS』が歴史的名盤たりえたのは、表面的な展開の妙ではなく、作品の隅々にまで流し込まれた驚異的なメロディの質による。「それが良質な旋律同士であれば、多少強引にくっつけても魅力的に仕上がる」ということを堂々と証明してみせたのがあの作品であり、そこに付随する形で「その強引さがむしろ良い」という感覚が聴き手に導き出された。

だがのちに受け継がれる遺産とは、いつだって表面的な形式であって、その前提としての「質」的部分は無視される。彼らの後継者たる雨後のタケノコたちがいずれも早々に失速していったのは、そこに「強引さ」の必要条件としての「メロディの質」が決定的に欠けていたからだ。力業で引き合わせて面白いのは、フックのある良いメロディ同士に限られるのであって、根本的なメロディが弱ければ、それはどうくっつけようが魅力的にはなりようがない。先に挙げたように、素材の駄目な料理と同じことだ。調味料で隠せる範囲は限られる。

そしていよいよ、本家であるDREAM THEATER自体にも、自らが生み出した遺産はかなり形骸化して貼りついてきてしまっているようだ。

緩急と軽重でしかメリハリがつけられなくなっている。やたらと展開する楽曲は、メロディで空気を変えることが出来なくなったことの裏返しでもある。メロディのフックのなさゆえ、展開にフックを求めて緊張感を保とうとしている。良質なメロディさえあれば無駄な展開などなくとも楽曲に緊張感を漲らせることができるというのは、彼ら自身がたとえば“Another Day”等のシンプルな名曲で証明してきたことでもある。だが展開が多いのが悪いというわけではない。良いメロディがなければ何ごとも始まらないということだ。

延々と引き延ばされるフレーズが緊張感を削ぐ。印象的でないメロディの無用の繰り返し。バトルシーンが引き延ばされた連載漫画を見ているような感覚。繰り返されると聴き手はそれが重要なフレーズだとつい認識してしまいがちだが、そのクオリティには過去に彼ら自身が生み出した名曲群との決定的差異がある。また、スポンテニアスな作風と言ってしまえばそれまでだが、手グセフレーズの増加も気になるところ。作を重ねていけば焼き直しフレーズが増えるのは物理的に当然のことだが、それがある種の限界を感じさせるのも事実だ。

6/24にリリースされる新作『BLACK CLOUDS & SILVER LININGS』において、あの美旋律の復活を期待して良いものかどうか、それによっては、わざわざ3枚組仕様の限定盤を買うべきか通常盤でいいのか、結構な迷いどころだったりするので困る。

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