泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

     〈当ブログは一部アフィリエイト広告を利用しています〉

『FOR(N)EVER』/HOOBASTANK 『フォーネヴァー』/フーバスタンク

Hoobastank - フォーネヴァー

意識的なスピード・ダウンを試みた前作を経ての新作だけに、不安は大きかった。

彼らを他の米国ヘヴィ・ロック勢と差別化してきた大きな「売り」は、主に「爽快感」「躍動感」「伸びやかな歌唱」の三つの長所であると思う。それをもっとも表現していたのが、“Crawling In The Dark”“Out Of Control”“Just One”といった弾けるような疾走曲であった。

だが前々作において、そこから「躍動感」を取り払ったバラード“The Reason”がヒットしたことで、彼らは「スピードがなくても俺たちは勝負できる」という自信をつけたのだと思う。緩急を駆使できるというのは音楽をやるうえで非常に魅力的な選択肢で、マンネリズムを回避し音楽性を広げるためには是非とも手に入れておきたい武器であるから、その技術を持ったら使ってみたくなる気持ちはよくわかる。

そうして彼らは、前作『EVERYMAN FOR HIMSELF』で「躍動感」を失った。それはもちろん上記のような、音楽性を拡張させるための意識的な試みだったはずだが、同時に彼らは「爽快感」をもいくらか失っていた。そのぶんある種の「重さ」を手に入れたことで楽曲の幅は広がったわけだが、一方で彼らはもっとも得意とする中心地を見失うことにもなった。今作のデラックス・エディションに付属するDVDに前作からの曲がひとつも見あたらないのは、前作に上記4曲に匹敵する名曲が存在しなかったことの証明であるように思う。

しかしそこまでの実験をしてなおかつ前作が明確な失敗作とならなかったのは、ひとえにもう一つの長所である「伸びやかな歌唱」=ダグラスの歌が、相変わらず魅力的であり続けたからだ。逆に言えばこのバンドにとっての生命線が何よりもダグラスの歌であるということが、楽曲面の変化により浮かび上がってきたと言うこともできる。

だがここへ来て、そのダグラスの歌が変化しはじめている。バックの変化についてゆけぬ自分に焦りを感じはじめたのか、ここで歌のバリエーションを増やすことがさらに楽曲の幅を広げることにつながると判断したのかはわからない。もしかしたら喉の調子がたまたま悪かっただけなのかもしれないが、そう思うほどに本作における彼の声は「がなっている」。ある程度ヘヴィな楽曲で、部分的にワイルドさを演出するためにがなるのはまだわかる。しかし本作では、たとえば⑥のようにライト&ソフトな楽曲においても無理に声を絞り出している箇所が多く、彼が「伸びやかな歌唱」から意識的な脱却を計っているように聞こえるのだ。

もともと、ダグラスはさほど声量のあるタイプではない。だがここで彼が目指そうとしているのは、どうもSEVENDUSTやDISTURBED系の、パワフルでマッチョなヴォーカル・スタイルであるように聞こえる。しかし喉は楽器ではない。もちろん楽器としての側面もあるが、基本的には肉体と別物ではない。ギターをストラトからレスポールに持ち替えるように、そう簡単に音色を変化させることはできない。

だが一方で、楽曲のバリエーションに関しては、前作の実験がここへきて実を結んできた部分もあり、今後さまざまな武器を手にする可能性を感じさせるものもある。ほのぼのポップな⑥や重さと軽さを同居させた⑪などは、前作を通過しなければ生まれなかった方向性であるはずだ。

まだ彼らは実験の途上にいる。この実験期間を経て、もう一度自らの長所と正面から向き合うことができれば、また名作を生み出してくれるかもしれない。

Copyright © 2008 泣きながら一気に書きました All Rights Reserved.