泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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あの嘘だらけの素晴らしいレディオが終わる

と適当にタイトルをつけてみて驚くのは、「レディオ」と聴くと即座に「壊れかけ」という言葉がごく自然に貼りついてくること。

あの曲の中で、レディオは永遠に壊れかけのままだ。

なんて格好つけて言いたいわけではない。
そもそも曲の冒頭でいきなり、
「何も聞こえない 何も聞かせてくれない」
と言っているのだから、普通に考えればそれは完全に壊れていると判断すべき。だから「壊れかけ」というのは、実のところ徳永のポジティブ・シンキングの賜物であって、「かけ」の部分には、大いなる希望的観測が込められている。

現実には「壊れている」ものを「壊れかけ」と呼びたい。
その気持ちは、主に思春期特有の「俺はこんなはずじゃない」的な、理想と現実のギャップに悩む若者に特有の、現状否定からくる無理矢理なポジティブ・シンキングと言えるだろう。

そして僕はもう若者ではないのだが、いまその気持ちが存分にわかる。
なぜなら、いま僕は風邪をひきかけているから。
風邪をひきかけた状態でレディオを聞いているから。

しかもこの「ひきかけ」状態、もう三日くらいまったく同じで、ちっとも進みやがらないのである。
もちろん進んでもらうと困るのだが、人生経験上、レディオと一緒で壊れかけの状態からの自然治癒はありえない。

風邪というのはいったん熱が出て、そこでその熱とともにウイルスをやっつけて治るものだと、『ためしてガッテン』か何かで観て知っている。いや『あるある大事典』だったかもしれない。
だとしたら全部嘘かもしれない。

大人になると熱が出にくくなる、というのを聞いたことがあるから、この風邪の「ひきかけ」状態が長引くことがよくあるような気がする。

ちなみにうちの古いコンポは、CDプレーヤーとラジオが一緒になっているのだが、もう数年前からCDプレーヤーの方だけ壊れて使えなくなり、今は大きすぎるラジオとして活躍している。
これも「壊れかけのレディオ」に認定してもらえるだろうか?

やはり徳永英明は、この曲名を考えただけでも人間国宝に認定して良いと思う。
ちなみに正式タイトルは、“壊れかけのRadio”である。
「Radio」部分は欧文表記で、それをわざわざ「レディオ」と発音しているのが流石だ。「レイディオ」では格好つけすぎで駄目だ。

本当は「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンが終わるらしい」ということを書きたかったのだが、長くなったのでPart2へ続く。

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