泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「二次会の二次会」

 今夜も我ら「二次会」は大いに盛り上がった。「二次会」といっても正確にはまだ「二次会」の一次会で、これから我々はいよいよ「二次会」の二次会へと向かうところだ。

 我々が言うところの「二次会」というのは二次的、つまり各所で副次的な役割を果たす人間の集まりで、副部長、副店長、副支配人、副キャプテンなど、その肩書きに「副」の字がつく人々が一堂に会するサークルである。それぞれが副次的な役割に甘んじているがゆえに、そこは自然と愚痴の温床になる。ゆえにサークルというよりは、いっそ秘密結社と言ってみたくなる気分もある。上司(=副次的でなく主たる役割の人々、たとえば部長や店長)への愚痴が違いを惹きつけあうように、SNSのつぶやきを介して自然と集まってきた仲間たちだ。

 このたび駅前商店街にある居酒屋『ふくちゃん』には、「副」の字を冠した役職を持つ十二人のメンバーが集まった。その一次会を終えてもまだ飲み足りない常連組の四人は、いつものようにそのまま路地裏のバー『レインボー』へとなだれ込んだ。

 焦げ茶のグラデーションがいやらしいバーのガラス扉を押し開けると、カウンターの向こうでグラスを磨いている髭もじゃで脇役面の男が、静かに頷いた。この男もやはり「二次会」メンバーのひとりであり、もちろん副店長であった。むろんこの「二次会」の日程は、あらかじめ店長のいない日時を見はからって設定されている。もしも「店長」の肩書きを持つ厳然たる人間が目の前にいた日には、彼らはいっせいに黙り込んでしまうことだろう。

 カウンターへ横並びに腰掛けた四人は、差し出されたメニューを見てすっかり考え込んでしまう。彼らはいつも主である副次的でない上司の顔色を伺ったうえでそれに合わせた決断をするという手順になれているため、伺う顔が目の前にない状態におかれると、途端に何ひとつ決めることができない思考停止状態に陥ってしまうのだ。

 互いに他三名の顔色をこそこそと伺いつつ、しかしその中の誰の顔色を最優先で伺えば良いものかとそれぞれに惑う時間帯が三分間ほど続く。真っ先にメニューから顔を上げたのは、大手自動車メーカーで営業副部長を務める車谷であった。

「ではわたしは、髭の副店長におまかせで」

 すると他三名は、ようやく伺うべき顔色を見つけたとばかり、注文を副店長に委ねる車谷の案に我も我もと便乗した。

「いや、そう言われても、ねえ」

 バーの副店長とて店長ではなく、普段から店長の顔色を伺って動く副店長なのであった。とはいえ、そもそも店員は客の顔色を伺うものである。ところがいざ客である車谷の顔色を伺ってみても、その車谷の目はすでに副店長である自分の目を伺っている。そうなれば客の顔色を伺うべく放たれた副店長の視線は、逆に客から向けられた視線にすっかり跳ね返されて戻ってきてしまうのであって、結局のところ自分で自分の顔色を伺うような矢印になってしまうのだった。顔色を伺うという行為は、圧倒的に先行のほうが有利にできているのである。

 そうなれば副店長は他に伺うべき顔色を無理にでも探すしかなく、やがて視界の隅に引っかかった、カウンターの隅でひとり飲んでいる別の常連客の顔をじっと見つめ、それと同じカクテルを全員に供給することにしたのだった。そういえば毎回こんな感じになるんだよなぁと、副店長はようやくこの会のはじまりを、たしかに感じながら。

 しかしこの調子だと、次のつまみを頼む段階でもさぞ面倒なことになるだろう。そんな予測を立てるのはむしろ自然な運びであるようにも思えるが、実情はさにあらず。彼ら「二次会」の面々は、どういうわけかつまみに関しては、一切の迷いなくズバズバと矢継ぎ早に注文してゆくのだった。

 それは彼ら副次的な人間たちが、「つまみ」という存在を「酒」という「主」に対する副次的なものとして捉えているからに違いなかった。彼らが思い惑うのは、目の前に顔色を伺うべき「主」が見あたらない場合のみであって、いざ眼前に特定の「酒」という「主」が差し出されたならば、その顔色を伺うことはむしろ誰よりも長けているといって良かった。

 そうしてテーブルの上を満たされた彼らは、それぞれの主である部長、編集長、店長、支配人の愚痴を互いにこぼしあい、存分に慰めあうという充実の時を過ごした。やがて終電の時間が近づいてくると、車谷がにわかに神妙な面持ちになって、皆に発表しなければならないことがあると言って立ち上がった。

「実はわたくし車谷、今月をもって、副部長を卒業することに相なりまして……」

「卒業って!」「アイドルじゃないんだから!」「まさか出世?」「部長ってこと?」「裏切り者!」「いやリストラでしょ」――などなど、それを聴いたメンバーからは、一気に様々な憶測が容赦なく飛び交った。

「いえ、実はわたくし、来月からは『部長代理』ということに……」

「代理?」「部長じゃないのか」「むしろ降格?」「いや『副』が取れたら出世だろ」「『副』と『代理』ってどっちが上なの?」「電車の『こんど』と『つぎ』みたいな感じ?」「それってどっちが次来るんだっけ?」「『つぎ』って言ってんだから次だろ」「いや『こんど』のほうが先でしょ。『つぎ』ってのは、『こんど』の『つぎ』って意味」「じゃあ『こんどのつぎ』って書けよ」「おれ駅員じゃないし」「だからどうすんだよ代理は」「部長は部長だから駄目だろ」「でも代理だよ」「だって部長いないんでしょ。いないから代理なんでしょ」「じゃあ部長と一緒か」「部長のいない副部長、みたいな?」「それもう部長だろ」「でもしょせん代理っつってるしな」「悪い奴じゃなさそうだよな、代理って」「ならまあいっか」「いんじゃない、副でも代理でも」「じゃあ継続ってことで」「だな」

 そうして、またみんなで集まろうという意思確認まですっかりできたところで、この日の「二次会」の二次会は無事お開きとなった。一方で会計の際に、自然な流れで車谷が少し多く払わされる展開になったのは、のちのち訪れる空中分解への着実な布石となった。


自作短篇小説「窓のない観覧車」をマインドマップ化する試み(本末転倒)

小説を書く手段として、いわゆる「マインドマップ」というものを使ってみようと思った。

いま流行っているのか、それともだいぶ前から流行っているのかもしれないが、以前お笑い芸人のかが屋がネタ作りの際に使っていると聴いて、なんとなく気になってはいた。あの言葉が枝分かれしていく、チャートみたいなやつである。

とはいっても、いきなり何をどうやっていいのかわからない。ということで、まずは自分が先日ここに書いた短篇小説「窓のない観覧車」を、マインドマップ化してみてはどうかと考えた。通常とは逆の手順になるが、手はじめには素材があるほうがやりやすい。

tmykinoue.hatenablog.com

ソフトはとりあえず、ネットで一番評判の良さそうなこちらを使ってみることにした。

jp.xmind.net

そして出来あがったマインドマップが、これである。マインドのマップというよりは、小説のマップなのだけど。拡大しないと、読みづらいかもしれない。渡辺謙にこっぴどく怒られても仕方ない。



なるべく書いたときに発想した順序で言葉を並べていくのが筋だと思い、まず真ん中に作品イメージの素となった「窓のない観覧車」というワードを書き込む。タイトルを決めずに小説を書くことも多いが、今回は最初からタイトルはこれに決めて書いた。

しかし書いた本人として、わかっているのはここまでだ。いざキーワードを並べていこうとすると、そこから何をどう繋げていったのかを、びっくりするくらいさっぱり憶えていないのである。誰だこんなのを書いたのは。

仕方がないので、書いた小説を読み直しつつ、キーワードを拾って並べていくしかない。やっていることは最初から本末転倒なのだが、ますますなんのためにマップを作っているのかわからなくなってくる。しかし手を着けてしまったものはしょうがない。

とりあえずそれっぽいキーワードを抽出して配置していくと、見事に矢印がとっ散らかっていく。これはマップの作りかたが下手なのか、小説の作りが散漫なのか、あるいはどっちもなのか。もう少し矢印のかぶりが、なんとかならないものだろうか。

だがそう思いながら要素を並べていくうち、作中に「○○のない△△」というパターンのフレーズが頻出していることに気づく。その代表が一行目の《窓のない観覧車に、髭のない少年が乗っていた》という一文だが、明らかにタイトルに引っ張られてこのパターンを使いたくなっていたのだと思う。

色のない売店、前歯のない店員、コーンのないソフトクリーム……そうして「○○のない△△」(マップ中の白抜き文字)を並べていくうちに、そのパターンで表記されていないドラえもんすらも、いわば「耳のない猫」だということに気づく。これは改めてマップを作らなければ、気づかなかった点かもしれない。もちろん書いている最中には、特に意識もせず押し入れからの連想で出しただけの名前であったはずだ。

そうして同じパターンのフレーズを大量にコレクションしてみると、やがてそれらをひとまとめに括る言葉がどうしても欲しくなってくる。こういう場合は、文中にそれらをまとめて言い換えたような「言葉=テーマ」が、すでに書かれているというのが現代文の攻略法であったことを思い出す。

では「○○のない△△」というのは、ひとことで言い換えるとなんなのか。それは適当な気持ちで作中に出した、「引き算の世界」という言葉にほかならないだろう。なんだか読解力が急激に高まったような気がしてきた。相手は自分が書いた文章だというのに。

と、ここまで来て改めてマップ全体を見渡してみると、中心に置いた「窓のない観覧車」よりも、その「引き算の世界」という言葉からのほうが、飛び出している矢印の数が圧倒的に多いことに気づく。となるとこの作品のテーマはむしろ「引き算の世界」のほうであって、タイトルはその一例に過ぎなかったということか。

もちろん作品のテーマを必ずしもタイトルにする必要はないし、映像的なイメージも含めると、やはり「窓のない観覧車」のほうが良かったとは思う。しかし書いている際にはテーマなんてほとんど気にしていないから、こうやって各個の具体例がひとつのテーマに集約される構図は、あまり考えていなかったような気がする。

こうしてマインドマップ化してみると、そのように改めて見えてくる部分もあってそれは良いのだが、では果たして逆の手順(まずマインドマップを作ってから、それを小説化するという「正規の手順」)が可能であるのかというと、かなり心許ない気もする。後づけでないとつながらない要素もいくつかあるし(「乗客――髭のない少年」のところとか)、書いている最中でないと出てこない発想というのが間違いなくあるからだ。

しかしこれはこれで、また別の何かが生み出せるかもしれないという予感もある。そのためにはまず、もう少しマップ作りが上手くならないといけないが、いずれ正規の手順でマインドマップを利用した小説を、書いてみることになるかもしれない。

短篇小説「窓のない観覧車」

 窓のない観覧車に、髭のない少年が乗っていた。窓のない観覧車は不粋だが、髭のない少年は不粋とは言えないだろう。少年にこの先、髭が生えてくるかどうかはわからない。

 もちろん高所からの絶景など、望むべくもない。だがどれだけ待っても観覧車に窓がつかないのは、まず間違いのないところだった。足し算から掛け算の時代を経て、いまや何ごとにつけ引き算の求められている世の中だ。そんなご時世、なにかしらオプションが増えるというのはあり得ない選択肢というほかない。

 それは観覧車というよりは、荷物を載せて運ぶコンテナというほうがふさわしかった。それに乗って観覧できるものといえば、ただ錆の浮いたコンテナの無愛想な内壁だけだからだ。それに運ぶといっても、高いところをぐるりと一周して元あった場所へ戻るだけであった。

 だがそういう薄暗い場所にほど、少年は閉じこもりたがるものだ。少年はドラえもんが押し入れに寝ているのを、いつも羨ましいと思いながら観ていた。彼にとってはポケットから出てくる未来の道具よりも、その特異な就寝環境のほうがよほど羨ましかった。しかし残念ながら洋風に建てられた少年の家に、ふとんが丸ごと入るような押し入れなどなかった。

 窓のない観覧車を降りた少年は、色のない売店でソフトクリームを買った。壁にも屋根にも色のない売店を、売店だと気づくまでにはそれなりに時間がかかった。周辺の路上に食べ滓を求めるカラスが集まっていたおかげで、少年はそこが売店であると気づくことができた。ただしカラスにも色がなかったおかげで、それをカラスだと認識するのに色以外の特徴をいくつか思い出してみる必要があった。

 少年が中心のない小銭ばかりで代金を払うと、摑んでいた小銭をリリースした手の甲の上にコーンのないソフトクリームがひんやりと渦巻いた。お礼の笑顔で前歯のないことを示した店員は、わざわざ機械を窓口まで運んできたうえでそうしているのだった。

 しかしこの引き算の世界では、何がどこまで省略されていても不思議はない。店員に前歯がないから噛みきれないコーンを省略しているのか、コーンのないソフトクリームばかり食べているから店員の前歯がなくなってしまったのかはわからない。あるいはその二つは無関係に、ただそれぞれが勝手になくなっただけなのかもしれない。

 そして園内を歩きながら手の甲に盛られたソフトクリームを舐め終えた少年は、いよいよ翼のないジェットコースターに乗った。少年だって、本当は翼のあった時代のジェットコースターに乗ってみたいと思っていたが、いざ乗ってその軌道を体感してみると、こればかりはないほうが正解であるように思えた。


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