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短篇小説「フェイク・オフィス」

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 六本木の高層階にあるオフィスで、振介は今日も働くフリをすることに忙しかった。

 具体的にいえば振介はいま、プリントアウトした資料を見るフリをしながら、そこに書いてあるデータをノートPCに打ち込むフリをしている。

 もっといえばその「資料」とはプリントアウトしたフリをして排紙しただけの白紙であって、その白紙がそこに何かしら書いてあるフリをしているものだから、彼はそれを読むフリができるのである。いくら振介でも、なんのフリもしていない白紙から、何かを読み取るフリをするのは難しい。

 隣の席にいる後輩社員の装子は、そんな振介のフリを見て見ぬフリをして、自ら淹れたフリをしたコーヒーを飲んでいるフリをしている。カップの中身はコーヒーのフリをした白湯であり、実のところ彼女はひと口も飲んではいない。

 そんな装子に対し、「ならば最初からコーヒーを淹れるフリなどしなければいいじゃないか」というのは、まったくもって的外れな批判であると言わざるを得ない。もしもその批判に忠実に従うならば、彼女は本当に何もしていない人になってしまうからだ。オフィスというのはひとことで言えば、何もしていないことが許されぬ場所である。

 ちょうど会議から帰ってきたフリをしている課長がその様子をめざとく見つけ、「俺にもコーヒーちょうだい」とコーヒーが好きなフリをして装子に催促してくる。すると装子は即座にキーボードを激しく叩く打撃音でその声を掻き消して、聞こえないフリをする。課長も本当はコーヒーが苦くて飲めないので、これはこれでWin-Winの関係が成立しておりなんの問題も生じない。

 午前10時になると、毎朝宅配便のフリをした青年がダンボールを届けにきて、装子がハンコを押すフリをして荷物を受け取るフリをすることになっている。実際のところハンコは押さないし荷物もどうせ何も入っていないので受け取らないのだが、そもそも青年は宅配便の人間ではないからその必要もない。挨拶の良くできる好青年である。

 各自仕事をするフリをそつなくこなしつつ、そろそろ昼休みかな、と思う頃になると、決まって課長が振介を席に呼びつけて書類の不備を指摘するフリをする。

 しかし課長が手に持っているのはまったくの白紙であり、だからといって彼はそれが白紙であることに怒っているわけでもない。それは振介が提出したフリをした白紙ではなく、課長が自ら排紙したフリをした白紙であるからだ。

 課長が怒っているフリをしているのは、昼休み前に緩んだオフィスの空気を引き締めるフリをするためであって、それ以外に目的はない。だから当然、振介の書類に不備などないし、それ以前に振介は毎度書類を提出するフリをするだけで、実際に提出したことは一度もないのだから、ないものに不備などありようがない。

 そうやってようやく訪れる待望のお昼休み。各人の積み重ねによるこういった「フリ」の集大成のおかげで、オフィスはかろうじてオフィスのフリをし続けることができている。

 たとえば午後も何かのフリをし続ける振介もまた、振介のフリをすることに忙しい別の誰かであるに違いない。


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