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【映画評】デヴィッド・リンチ/『アートライフ』

現世にデヴィッド・リンチほど「奇才」という呼び名がふさわしい人間はいないと思うが、どんな奇才にもルーツはある、ということが少しだけわかる一作。むろんどんな開示のされ方をしようと、その不可解な才能の全貌などわかるはずもない。しかし「わからなさ」の多い彼のフィクションに比べると、ほんの少しでも「わかる」部分、共感できる部分を見出せるというのは、ファンにとって結構な収穫であるかもしれない。

内容的には、長編デビュー作『イレイザーヘッド』に至るまでの半生をリンチの独白により振り返るもので、リンチにしては思いのほかストレートな構成である。そんなに緊張感のある作りではないので、さほど構える必要はないが、ところどころ印象的なエピソードや言葉が出てくるので油断もできない。

まずは冒頭で語られる以下の言葉が印象的である。この言葉はリンチの創作手法のひとつであると同時に、本作がこのタイミングでリリースされた意図の説明にもなっている。

たとえば絵を描くとか
ある種のアイデアを追求しようとする時
そのアイデアを呼び出し彩るのは過去だ
新しいアイデアに過去が色をつける

創作のプロセスを訊かれた場合、「過去になど興味はない」「過去の自分に縛られたくない」と語る向きは多い。まだ見ぬ新しいものを創るためには、過去を振り返るのではなく、未来だけを見据えなければならない、と。

そういう意味で、このリンチの言葉はかなり意外であるかもしれない。だが一方で、創作に必要な「想像力」というのは、「観察力」や「感受性」をベースとしているのも事実である。

創作者は過去に見聞きし感じた事柄をヒントに、その先の風景を思い描く。つまりそのイマジネーションの素材の大半は、今よりも過去に体験した出来事の中から見つけたり感じたりして収集したものである。

同じ意味で、創作の秘訣は「記憶力」であるとする人もいる。過去に観察したり感じたりしたことを、適宜記憶の彼方から引っ張り出せるかどうかが勝負であると。裏を返せば、記憶できない「観察」や「感知」など、少なくとも創作においては役に立たぬ、と。

しかしリンチの場合、過去はアイデアを呼び出すだけでなく、「彩る」ものであるとしているところが興味深い。さらに彼は、《新しいアイデアに過去が色をつける》とまで言っている。普通に考えれば、これは逆にしたほうが自然だろう。「過去のアイデアに、新しい色をつける」というのが一般的な手順である。

リンチの作品では、時制が逆転する、つまり過去が今よりも後に来る展開が頻出するが、ここで語られた創作作法も、どうやらその作品内容に通じているように見える。彼は誰も見たことのない手法でまだ見ぬ「未来」を見せつける作家でありながら、「過去」への執着が異様に強い人でもある。いやむしろ、「過去」をより良く描き出すために、斬新かつ「未来」的な手法を利用していると言ってもいいくらいに。

その他にも、リンチが元は絵描きであったこと、幼少期から父と一緒に工作をしていたこと、常に自身の才能を見出してくれる人に恵まれたこと、逆に言えば見出されるほどの何かを常に放っていたということ、なんでもない思い出語りが徹底して映像的であること、若き日のライフスタイルが案外「リア充」であること――などなど、「やっぱり」と腑に落ちる部分と意外な部分がひょこひょこ出てくるのが興味深い。

しかし自らの作品内で、あれだけ夜中に遊び歩く乱れた若者たちを大量に描いているわけだから、そりゃあ自分自身も「リア充」的なパーティー体験は結構あったはずだよなぁ、と妙に納得はいってみたり。それはまさに、豊かな過去が新しいアイデアに色をつける、といった按配なのかもしれず。

最後にもうひとつ、作中に出てくるリンチの印象的な言葉を引用して締めくくりたい。これはあらゆる創作者に、勇気を与える言葉であると思う。

全てをダメにする失敗から――
何かが生まれる時もある
よりよい作品がね
よく制御されたものは
ある意味 開かれてない
線引きをすることで表現がダメになる
時にはひどい失敗をしてかき乱されないと――
探しているものは見つからない

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