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無理比喩短篇小説「因果オーライ」

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 朝の通勤電車はコンビーフの缶詰のように混んでいた。中段をぐるぐる巻き取るあの独自の構造は切腹を思わせるが、満員電車に乗っているサラリーマンたちの会社への忠誠心も実質的な切腹を前提としている。

 列車がテーブルの上に置いて三秒後の生卵のように揺れると、比村喩吉は朝礼で校長先生の話を三十分聴かされた貧血児童の如くよろめいた。どうやらこの日の運転手は産まれたての子鹿あるいは子牛くらい初心者であるらしく、放課後の女子高生が脊椎反射で投げつけるお喋りの片手間に混ぜっ返すキャラメルフラペチーノのように車内は掻きまわされた。

 目の前に天使がしまい忘れた尻尾のようにぶら下がったつり革を、後方から雨上がりの虹的に弧を描く何者かのアームに奪われた喩吉は、突然の揺れに摑みどころを見失い、頭上にギロチンの刃よろしくぶら下がった中吊り広告をその手で掴まえた。

 しかし郊外にあるまじき億単位の価格を激安物件と謳う広告は、そのボディービルダーを思わせる光沢に反して甲子園を湧かせた高校球児のプロ初打席のように脆く儚く、紙切れを掴んだ喩吉の手は、広告の右下四分の一を部下が提出してきた退職願を彼の成長を願うあまりあえて演技的に切り裂いてみせるその手つきでちぎり取り、その勢いのまま斜め下方へと強く振り下ろされた。

 しかし寿司詰めどころか柿の葉寿司レベルの押し寿司状態の列車内において、親の仇とまでは言わないが甥もしくは叔父の仇の如く振り下ろされた拳が運良く誰もいない空間に収まるなどということは、『東京フレンドパークⅡ』のホンジャマカとのエアホッケー対決に勝利した上でパジェロを射止めるくらいあり得ないと思っていい。

 そうして天上から下された紙片をちぎり取った喩吉の拳は、鈴鹿サーキットの第二コーナー立ち上がりからS字コーナーを抜けて逆バンクに差しかかるような軌道を、ちょうど鈴鹿八耐仕様にチューンナップされたバイクがそこを通り抜けるくらいのスピードで複雑に描いた。

 その下降線上に現れた最初の障害物は、右隣に立っていた、ロバを屋外へ水なしで三日間放置したのちに小屋に食事抜きで二日間閉じ込めたような60代男性の頭部であった。いや正確にいえば、頭部ではなく頭部に載せられた「何か」であり、それは上方からの思いがけぬ空襲を受けると、時計の針が十二時から三時へとタイムスリップするように九十度斜め右下へとスライドして止まった。

 自らの拳が他人をメタモルフォーゼさせるその様を他人事のように感じていた喩吉は、耳という突起物が時にフックあるいはストッパーとしての役割を果たすことに、ガッテンボタンを連打する高橋英樹くらい感心した。

 赤の他人の載せ毛を北極からメキシコあたりまで旅させた喩吉のいたずらな手は、そののち右後ろのOLのスマホを『100万円クイズハンター』におけるゴールデンハンマーの要領で叩き落とし、さらに切り返すようなS字曲線を描きながら、喩吉とOLの足腰の隙間に潜り込んでいた小学生のランドセルからひょっこり飛び出すソプラノリコーダーを、凍らせたチューペットの要領で二つ折りに破砕したのだった。

 しかしその後、載せ毛をズラされた男は諦めてベレー帽をかぶることにしたら突如として町内会でモテ期が到来。スマホ画面を割られたOLは、その画面の割れ目が大好きな待ち受け画像の大槻ケンヂの目の上下に走るヒビと完全に一致して愛着十倍増。笛を折られた小学生は、壊れた笛を口実に念願のトライアングルにパートを変更してもらえるしで、この世はすべて結果オーライ。熱中症で死にかけた所さんが、経口補水液のCMでボロ儲け、みたいな。


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