泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

男とアンテナと異邦人

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先日、昼過ぎに公園を歩いていると、池の縁に立っている初老の男を見かけた。

とはいえ人が死ねるほどの深さを持つ池ではないから、自殺志願の心配はない。佇むといった陰鬱な雰囲気はなく、むしろ仁王立ちの誇らしさで背中を反らせ気味に立っている。

後ろから見ると、その姿は立ち小便をしているように見えなくもない。だが足を肩幅に開いて立つ男性の後ろ姿がそう見えてしまうのは良くあることで、実際には釣りをしていた、というような錯覚はありがちな話。ましてやここは池である。といっても公園内での釣りは禁止されているはずだし、釣り糸を垂らす人の姿をこれまでに見かけたことはない。

僕は男が立っている数メートル脇に架かる橋を渡るため、彼の斜め後ろから徐々に近づいてゆく形になった。男の横顔が見えてくると、その手はやはり何かを股間付近で握っているように見えた。もちろん変質者の可能性もあるが、すぐ横にある橋の上を通る人は多く、誰も逃げている様子はない。となると、「立ちション」か「釣り」の二択ということになる。

しかし立ちションにしてはさすがに白昼堂々すぎる。そのうえ人通りの多い橋に向けて完全にモノを露出していることになるから、結果的に変質者も兼ねる。それにしては通行人たちが落ち着きすぎている。

公園には、普段から様々な音が流れている。鳥の鳴き声や子供たちのはしゃぐ声のみならず、弾き語りを聴かせる自称ミュージシャンもいれば、なにやら出囃子をかけて大道芸を披露する自称芸人もいる。公園という場所は「自称」の巣窟である。このときもどこからか、耳馴染みのある音楽が耳へと流れ込んできていた。

エキゾチックなイントロ、大陸を感じさせる雄大なメロディー、繊細で美麗な女性ボーカル……その曲は、間違いなく久保田早紀の「異邦人」であった。僕はこの曲を、なぜか「『恋人よ』じゃないほうの曲」として認識している。

それはちょうど、どちらも1980年あたりにピアノを弾き語りする女性が歌っていた曲だからで、微妙に後追いでこの二曲を耳にした世代としては、なんとなく同じ引き出しに入れてしまっているのである。そして音楽は哀しいものばかり好む自分の趣味からすると、やはりイントロから荘厳な絶望感に溢れている「恋人よ」のほうに、先に心を掴まれた。

しかし「異邦人」も本当に素晴らしい曲で、そのアレンジの妙を理解できるようになってからは、改めてとんでもない名曲だと思うようになった。だから公園でこの曲を耳にした時も、自分の中で「えーっと、これは『恋人よ』じゃなくて『異邦人』のほうね」という確認の一段階こそあったが、わりと気分良く美旋律に耳を傾けつつ、その先に来たるべき転調など待ち受けながら歩いていた。

だがどこからともなく聞こえてくるその名曲は、弾き語りによる生歌でないばかりか、むしろ声が割れているなどしてすこぶる音質が悪い。やがて池の縁に立つ男を追い越して渡るべき橋へと差しかかった僕が、念のため振り返ってその姿を確認すると、男の股間からは金属製の伸縮式アンテナがすっくと伸びていたのだった。

即座に何かしらの危機感を感じたため、その股間をじっくり見ることは叶わなかったが、どうやら「異邦人」はそのアンテナを通じて発信されていたらしい。いやアンテナは受信するもので、発信場所は何かしらのスピーカーなのだろうが。そのアンテナの根っこにあるものがラジオなのかラジカセなのかCDプレーヤーなのか、あるいは最新鋭のモバイル機器なのかは判別できなかったが、音質的にはAMラジオが濃厚だろうとは思った。

そう思ってみたところで何がどうというわけでもないが、それが男自身の選曲によるものなのか、他人つまりラジオパーソナリティーやディレクターによる選曲なのかという点には、大きな違いがある。とはいえ「異邦人」は昨今のラジオでそう頻繁にかかる曲とも思えないので、ここは前者だと信じたい。

いずれにしても、「立ちション」でも「釣り」でもない第三の選択肢を思いつけなかったこちらの負けだ。このたび、「人を後ろ姿で判断してはいけない」という崇高なる教訓を得た。

「股間のアンテナから異邦人」――この妙に座りの悪い現実を前に、我々にいったい何ができるというのだろうか? この「異邦人」とは果たして何を意味するのか、改めて歌詞を見ながら「異邦人」をじっくり聴き込んでみたところで、そこに答えは見当たらないだろう。

もしもこの男が我々とはかけ離れた価値観を持つ「異星人」だったとして、「異星人」が「異邦人」をかけていたら、それはもはやひっくるめて「地球人」なのではないか? いやそれはそれで、「異星人」から見たら「異星人」なのか?――などと考えても仕方がないので、そのまま頭を空にして駅へと歩を進めたのは正解であった。


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