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短篇小説「ラジカセの木」

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 男は庭の畑でラジカセの苗を育てていた。

 苗とはいっても、水を遣るわけにはいかない。なぜならばラジカセは、電化製品だからである。庭にはビニールの屋根がついていた。音を聴かせて育てるしかない。それも正確な育て方かどうかはわからない。そんなこと、誰にもわからないのだ。

 それでもラジカセの苗はすくすくと育つ。周囲の音を勝手に吸収して成長するという説もあるし、日光や二酸化炭素のおかげであるとする説もある。だが後者であるとするならば、他の光合成をおこなう植物と違い、水をまったく必要としない(それどころか天敵とさえ言える)という部分がどうにも腑に落ちない。

 か弱き苗はやがて立派な幹へと変貌を遂げ、木としての体裁を整えてゆく。所々に現れてくる木のうろは、後にスピーカーとなる部分の原型である。

 このいわば少年期の段階でうろに向け良質な音楽を日々聴かせておくと、のちに成人のラジカセとなった際にスピーカーの音質が劇的に良くなる、という教育ママ的思考がどうやら横行しているが、その効果は定かではない。

 スピーカーはあくまで音を出力する場所であるから、そこから何かを摂取させるのはまるで肛門に食事をさせるようなものだ、というベクトルの問題もあり、そもそも「良質な音楽」とは何かという議論もある。

 ラジカセの木にカセットテープをA面からB面へと自動反転させる機能、いわゆるオートリバース機能が備わるかどうかは、苗木の青年期における「声掛け」のやり方次第であると言われている。人はどうしても対象物に対し、毎度同じ一方向から声を掛けがちであるが、この声掛けアプローチの方角を頻繁に変えることで苗木の内に反転への意識が育ち、眠れるオートリバース機能が覚醒する、という論文が昨年発表され話題を呼んだのは記憶に新しい。

 ちなみに、「苗木が充分に育つ前に黒人の友達を作っておけ」というのは半ば常識となっている。木が人間の身長を越えるサイズにまで成長した折りには、その中から良き枝を選び黒人の肩に軽く担いでもらうと、ラジカセはすこぶる丈夫に育つという。特にスピーカーの出力ワット数と重低音の迫力に差が出ると言われている。

 これら数ある俗説のうち何が功を奏したのかはわからないが、男が植えた木は順調に育ち、立派なラジカセを実らせた。いや正確に言えばけっしてラジカセという果実がそこにあるのではなく、木そのものが紛うかたなきラジカセとなるのである。

 四方八方に飛び出していた枝や葉はいつのまにかどこかへと消え去り、人の背丈を超える高さまで伸びていた幹はすっかり持ち運び可能なサイズにまで縮み込んだ結果、見た目はまさに直方体のラジカセそのもの(ただしタテ位置)へと小さくまとまってそこにある。

 この奇妙な縮小化を人間になぞらえて「老化」とする向きもあるが、これだけあらゆる物質が小型化を進めている現代社会において、小型化すなわち老化と捉えるのは、もはや時代遅れであると言わざるを得ない。

 あとは木を根元から引っこ抜いて土を落とし、横にしてコンセントにつなげばラジカセの完成である。

 男はさっそく、例の屈強な黒人とともにラジカセの木を豪快に引っこ抜いた。すると土の中から根が、いや数百本の電源コードが飛び出してきたのだった。

 とりあえず掘り出したラジカセを部屋に持ち込んで、数あるコードの中から一本二本三本と次々コンセントにつないでみたが、どうやら全部つなげないと電源は入らない仕様らしい。いったいどこに、これだけの電源タップを完備した家があるというのか。ひっくり返して探してみたところで、電池を入れる箇所も見あたらない。

 男は畑へと戻り、引っこ抜いてできた穴をさらに深く掘り進めてラジカセを埋めた。その夜から村全体に、得も言われぬBGMがうっすらと流れはじめた。


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