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短篇小説「戸袋ひろしの誘惑」

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それがどこの何線であろうと、電車のドア付近できりきり舞いしている男がいたら、それが戸袋ひろしである。

あまりにも戸袋に引き込まれるものだから、「戸袋ひろしは戸袋に“挟まれている”のではなく、戸袋の中に“入ろうとしている”のでは?」という説もちらほら囁かれはじめているが、真相は戸袋の中である。

一部の動物学者たちは、戸袋ひろしの話題になるとすぐに「母親のポケットに入り込むカンガルーの子供」に喩えてしたり顔をぶら下げる節がある。だが袋状のものなど戸袋以外にいくらでもある(お袋、胃袋、堪忍袋など)のだから、それだけでひろしが戸袋に入りたがることを説明したことにはなりようがない。

一方で哲学者たちの間では、戸袋ひろしはある種の「偶像」として祭りあげられているという。彼らによれば「戸袋ひろし」などという人間は実在せず、それは物質社会においてすっかり空洞化した現代人の心が生み出した想像上のモンスターであるというのである。

しかしここでも、前述のカンガルーの件と同様の指摘が可能である。すなわち、空洞化しているものなど戸袋の他にいくらでもある(盗難後のクワマンセカンドバッグ、鈴木義司先生の入っている土管、『笑っていいとも!』終了後にぽっかり開いた心の穴など)わけで、むしろ空洞としては狭いほうの部類に入るであろう戸袋という薄っぺらな空間に、現代社会が生み出した心の空洞を象徴させるのは荷が重いとしか言いようがない。

近ごろでは「将来なりたい職業」のアンケート上位に「戸袋ひろし」という個人名が挙がることも多く、親御さんたちは頭を悩ませているという。カンガルーの子供に限らず、子供というのはカーテンにくるまったり掃除ロッカーに入ってみたり、とかく狭い空間に入りたがる傾向があるもので、もし戸袋ひろしが職業だとしたら、なりたいと思うのも無理はないだろう。

しかし今のところ、戸袋ひろしが職業であるかどうかは不明だ。もしかするとどこぞの大企業がスポンサー料を支払って、戸袋ひろしを戸袋にダイブさせているのかもしれない。それによってその企業にどんなメリットが生じるのかはまったくわからないが、「ライバルの鉄道会社による妨害工作」などという単純な話であることは考えにくい。

なぜならば戸袋ひろしは毎度あまりにもスムースに戸袋に巻き込まれるからであり、その自然さゆえに、彼が電車を遅延させたことなど一度たりともありはしないからである。

あるいは戸袋ひろしは「戸袋に引き込まれることの危険性を身をもってアピールしている」という説もある。しかし結果的に多くの子供たちが戸袋ひろしに憧れてしまっていることを考えると、むしろ逆効果であると言えるだろう。

私は以前、戸袋に右半身を引き込まれている最中の戸袋ひろしに尋ねたことがある。「あなたはなぜ、戸袋に引き込まれるのですか?」と。むろん私が期待していたのは、「そこに戸袋があるからだ」という山男のような答えだった。しかし彼は、まったくなんの構えもなくこう言い放ったのだった。

「逆にあなたたちは、なぜ戸袋に引き込まれずにいられるの?」

それはまさしく人生に対する根源的な問いであるように、私には響いた。彼は戸袋にいちいち引き込まれることで、何度もこの世の中に「生まれ直している」のではないか。だとすると、戸袋とはいったいなんなのか。

そんなことをぐるぐると考えているうちに、私は降りるべき会社の最寄り駅をすっかり乗り過ごしてしまっていた。先ほどまで戸袋に挟まれていた戸袋ひろしの姿は、すでになかった。

私は次の停車駅に着くまで、じっと電車の戸袋を見つめていた。戸袋の中を抜けたら、どこでもドアのように会社のドアに通じているのではないか。私の頭の中に、突如そんなアイデアがひらめいたのだった。その考えを実行に移すまでに、時間はかからなかった。


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