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似合わせなカット

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近ごろ髪切り場の看板黒板そしてネット上でやたらと目撃するようになった謎のメニューがある。

「似合わせカット ¥6,480」

なんということでしょう。なんだかわからないが、このメニュー名からは「言葉の圧」のようなものが強烈に発散されている。「似合わせる」という使役文体が、その強制力を遺憾なく発揮しているのかもしれない。

しかしその「言葉の圧」がどの方向に向けられているかというと、これがよくわからない。「絶対に似合わせてみせます!」という切り師の自信表明なのか、「とにかくお客様の言う通りにします」という徹底的な媚びなのか。あるいは、「こっちは全力で似合わせようと努力しているのだから、もしそれでも似合わなかったとしたら、お客様の顔面の圧倒的な質の低さが原因です」と責任の所在を明らかにしようとしているのか。

さらに厄介なのは、このメニューを掲げている髪切り場の場合、「似合わせカット」以外の普通のカットというメニューが存在していないのである。つまり「似合わせカット」には「スタンダードカットのハイグレードバージョン」などという質の上下を示す特別な意味などはなく、それはデフォルトつまり「標準カット」を意味していると思われる。

いわばここでも言葉のインフレが起こっているのである。以前僕は輸入CD屋で、「名盤!」「傑作!」「名作!」「超名盤!」「必聴盤!」「神盤!」「奇跡の一枚!」「十年に一度レベルの衝撃!」「聴かずに死ねるか!」といった絶賛系キャッチコピーがほとんどの作品につけられていることにひどく困惑した経験があるのだが、もし髪切り業界でこの「似合わせカット」がデフォルトになってきているとしたら、そこには同様に際限なき言葉のインフレーションが待ち受けているはずなのである。総理、これはいったい何ノミクスなんでしょうか総理。

そもそも髪切り場に赴く客が、自分に似合う髪型にしてもらいたいのは当たり前のことである。たとえ切り師にどんな無茶なリクエストをしようとも、そこには「似合う髪型にしてください」というひとことが間違いなく暗に含まれているはずだ。「言わずもがな」というやつである。

いやもしかすると、「オダジョーみたいにしろっていうあなたのリクエストは絶対に似合わないから、却下して全然別のもっと似合う(無難な)髪型にしてあげます」という切り師サイドの親切心を超えた老婆心こそが「似合わせカット」という言葉の真意なのだろうか?

しかしだとしたら、それは切り師にとっての「似合わせカット」ではあっても、客にとっての「似合わせカット」ではまったくないということになる。オダジョーになりたい客は、オダジョーの髪型が自分に似合うと信じているか、もしくは似合わないと薄々わかってはいても、それでも切り師の腕前でなんとかオダジョー刈りのまま似合わせてくれたりしないものかと考えているはずなのである。もちろん後者は明らかな無茶振りであって、もはや美容整形外科で発注すべき案件であるのだが。

それ以前にオダジョーの髪型はそもそも変化が激しすぎるため、意思疎通の手段としてはリスクが大きすぎる、という別の問題もある。切り終わった段階で鏡を見て、「このオダジョーじゃなくて、3つ前のオダジョーを頼んだのに!」という事故が多発していること請け合いである。

まあそこは憧れる対象と自身の顔面との距離感を見誤った自己責任であるとして、同じ「似合わせカット」という言葉でも、切り師にとってのそれと客にとってのそれとでは、すっかり意味が正反対になり得るということだ。

つまり「客が似合うと信じているが切り師から見れば似合わないカット」というのは、客からすればまさに「似合わせカット」であるのだが、切り師からすればむしろ「似合わせなカット」であるということになる。この場合、「似合わないことがあらかじめわかっている状態で切る」という敗戦処理的なスタンスが切り師に求められることになる。

それでも客の信じる「似合わせ」と自らの信じる「似合わせ」のあいだを取ってなんとか「落としどころ」を探るというのが、プロの切り師に求められる技術とセンスなのかもしれない。だがそうなると切る側も切られる側も、いずれにとっても少なからず妥協が必要となり完全な「似合わせ」ではなくなってしまうから、そのカットはどちらサイドから見ても「似合わせカット」を名乗る資格を失うことになる。

なのでもしどうしても「似合わせカット」という言葉を使いたいならば、「似合わせカット(客目線)」「似合わせカット(切り師目線)」という風に立場によって分類するか、あるいは切り師目線に固定して「似合わせカット」だけでなく「似合わせなカット」という新メニューを拵えるか等、さらなるオプションを考える必要があるのではないか。ないのではないか。ないのだろう。ないに違いない。もうないなんて言わないよ絶対。


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