泣きながら一気に書きました

不条理短篇小説と妄言コラムと気儘批評の巣窟

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短篇小説「忘却無人」

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ポストにちらしが入っていたのがすべてのはじまりだった。ちらしといっても広告ではなくちらし寿司である。ポストかと思ったものはホストで、要はホストが家の前でちらし寿司を食っていたのである。いや食っていたのではなく、繰っていたのかもしれない。ということはやはりちらし寿司ではなく、広告のほうのちらしだったのか。だとしたらホストではなくポストだと考えたほうが自然だということになる。

いつも帰宅時にするように、鍵を差してひねってポストの蓋を開けたところ、中から大量のちらしがこぼれてきた。そのときツンとする酢の匂いを嗅覚が記憶しているということは、やはりそれは広告の別名としてのちらしではなく、酢飯をベースとするちらし寿司だったのだろう。しかし焼き上がり直後の写真というのもある種酸っぱい匂いのするものであるから、広告のほうのちらしであることも完全には否定できない。

もしも中身が酢飯だとするならば、やはり私が開けたのはポストではなく人間、つまりホストの口であったのかもしれない。もしも口に鍵のついたタイプのホストがいればだが。それはとんでもなく口の固いホストということになるだろう。ホストにとって「口が固い」というのが、はたして良いことなのかどうか。

こぼれ落ちたちらしは黄・赤・緑と実に色とりどりで、その色彩感覚はカラーの広告にもちらし寿司にも共通している。それを見てさすがに食べる気は起こらなかったが、そう感じた原因が紙であるせいなのか、地面に落ちて不潔であるせいなのか、他人の口の中にあった気持ち悪さのせいなのかは、いずれとも判断しかねる。しかし食べたいとは微塵も思わなかったのは事実だ。

ちらしが何を伝えたがっているのかはよくわからなかったが、それはちらしの文字情報が相も変わらず空間恐怖症的にゴチャついていたせいだろう。もしくはホストの口の中が、ちらし寿司で埋め尽くされていたからかもしれない。

もちろん、それがホストクラブのちらしであった可能性もある。その場合のちらしとは、いったい広告なのか寿司なのか。ホストとの相性という点から考えると、寿司のほうが良いような気はする。アフターで客と寿司屋へ行ったのか。しかしうちは寿司屋ではないのだが。

結局私は面倒になり、ポストあるいはホストとちらしはそのままにして、家に入り鍵を閉めて風呂に浸かってその日は寝た。幸い次の日は休日であったが、朝早く暴力的なインターホンに叩き起こされたのだった。玄関のドアを開けると二人の男が立っており、一人が警察手帳を誇示しつつ、今日未明あなたの家の前にあるポストの中から、ちらし寿司と広告ちらしにまみれたホストの死体が発見されたと告げた。死体はすでに撤去したという。

そのあと手帳を見せつけてこないほうの刑事から、つきましてはちょっとお話をお聞かせ願いたい、まずはこのちらしをどうぞと言って手渡されたものは、捜査情報をまとめ急ぎ作成されたちらしであったか、あるいは取り調べ時にドラマで刑事がよく頼んでくれるカツ丼的な意味あいにおけるちらし寿司であったか。

どちらにしろその時、食べたいと思わなかったことだけは憶えているのだが。


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