特に耳を傾けていなくとも、おのずと耳に入ってきてしまう会話というのがあって。
寒波、寒波と日本中が騒いでいたきのう日曜日の夕方、近所にあるスーパーとコンビニエンスの中間くらいのマーケット。
レジを済ませて自動ドアを出るところで、ちょうど入ってくる小学校低学年くらいの男の子二人組とすれ違った。二人とも下は短パンにハイソックス、上にはウインドブレーカーを着込んでいる。一人はネットに入れたボールをぶら下げており、おそらくはサッカーの練習帰りといったところだろう。
店を出る僕はすれ違いざま、小学生二人の繰り広げる鮮烈な会話に耳を奪われた。
「光秀って農民に殺されたんだって」
「農民に?」
会話のテンポの良さといい声のトーンの自然さといい、それはもう完全に日常会話であった。トーン的には、「桐島、部活やめるってよ」くらいな感じである。
桐島が部活をやめても日本は変わらないが、光秀が死んで日本は確実に変わった。ちなみに最初の台詞はボールを持っているほうの子、後の台詞はボールを持っていないほうの子が放ったものである。
だが改めて考えてみると、もちろんそんな話題を持ち出すほうも持ち出すほうだが、それを聴いて「農民に?」とちゃんとピンポイントで疑問を呈してくる子のほうもなかなか見どころがある。
なぜならばそこに引っかかるということは、戦国武将はいくさ場で死ぬことを本望とし、そこらへんで一般市民に殺されるのはあまりに可哀想だ、ということを、理論的にではないにしても彼はうっすらとわかっているからである。つまりは「武将が農民に殺される」ということが、当然ではなく意外、そして残念なことであるということが。
二人は戦国時代からタイムスリップしてきたのかもしれないし、僕が戦国時代にタイムスリップしているのかもしれない。とりあえずテレビをつけてみると、『おんな城主 直虎』や『信長協奏曲』という番組をやっている。