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泣きながら一気に書きました

妄言コラムと気儘批評と悪戯短篇小説の巣窟

短篇小説「眠れる盛り土美女」

短篇小説

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ある真夜中、床下からザクザクと不穏な音がするのを僕は聴いたのだった。トイレに起きた僕はたしかにその音と振動を感じたが、家の前をトラックか何かが通ったのだろうと思い、その日は用を足すとそのまま寝てしまった。平屋建てアパートの一階は、何かとよく揺れるのである。

その後の二日間は、特に夜中目が覚めることもなかった。日中はバイトに出ていたため何が起こっていたのかはわからないが、部屋に戻っても特に異変などは感じられなかった。

そして三日後の夜三時ごろ、僕は再び床下から響く異音を耳にしたのだった。その時響いてきた音は、前回同様にザクザクと小気味よい音であった。その音はしばらくして、ペタペタと何かを硬いものでひっぱたくような音色へと変化した。

これは間違いなく、家の前を走る自動車のエンジン音でも振動音でもない。そう確信した僕はコートを羽織り、懐中電灯を片手に外へ出た。僕の部屋は四部屋しかないアパートの一番手前にある角部屋だが、奥の三軒に灯りはついていない。寝ているのか不在なのかはわからない。

僕はなんとなくアパートの周辺をぐるりと一周してみたが、特に変わった様子はない。というより、普段から見廻る習慣がないため、異変があっても気づく可能性はそもそも低い。

とりあえず部屋へ戻ることにして、自室の鍵穴へ鍵を差し込んだところで、僕は妙なことに気づいた。左手に持った懐中電灯で手元を照らした範囲内に、もう一つ扉が見える。しかし隣室の扉は、灯りの範囲外にある。それは自室と隣室の間に位置する、見たことのない鉄の扉であった。

懐中電灯を当てると鈍く光るその鉄の扉は、各部屋の扉よりもひとまわり小さかった。こんなところに扉などあったはずはないのだが、それが新たに設置されたものでない証拠に、鉄の扉はひどく錆びついていた。扉は重いが案外スムーズに開いた。先ほど部屋で耳にした異音が、俄然クリアに響いてくる。

そして同じく錆びついた鉄の階段を降りた。そこに階段があったからだ。

このアパートに階段があるなど、もちろん聞いたことはなかった。だが階段は、間違いなく僕を地下へと導いていた。僕は足元を照らしながら、注意深く下へ下へと進んだ。不審な音は徐々に大きくなった。

階段が終わると、思いのほか広い空間が開けていた。といっても、壁がコンクリートで固められているわけでも、電灯が設置されているわけでもない。地下室というよりは、単なる穴倉といったほうが正確だろう。

ザクザクと響く音は、間違いなく穴倉の奥から響いていた。僕はこわごわ、下からゆっくりそちらへと懐中電灯を向けた。白いドレスを着た長髪の女が、スコップを持ってせっせと立ち働いていた。

「な、なにをしているんです?」

僕はなんとか声を発したが答えはなく、女は手を止める様子もない。右の山をスコップでザクザクと突き崩し、その土を左の山の上に盛り、さらにスコップでペタペタと塗り固める。そんな盛り土のルーティーンを、女は休みなく繰り返していた。

失礼だとは知りながら、僕は懐中電灯の光を女の顔面へと向けた。ところどころ土に汚れてはいたが、女は絶世の美女だった。しかしその両目は、すっかり閉ざされていた。目を閉じているのにひと目で美女だとわかるというのは、女がよほど美しい証拠だが、その実女は単に寝ていたのだった。

これだけ激しい運動をしているのに眠っているとは信じがたい事実だが、女が作業しているその手前には、きっぱりと「DO NOT DISTURB」の立て札が雄弁にそそり立っていたのだから。

僕はなすすべもなく、すごすごと部屋に戻って睡眠の続きを貪ることにした。あのまま粘ったところで、見知らぬ工事を辞めさせる勇気も、美女を口説く勇気も、どうせ僕にはありはしないのだ。しかしこれが思いのほかよく眠れた。こんなによく眠れたのは、生まれて初めてだったかもしれない。

翌朝は休日だったため遅くまで寝ていると、切羽詰まったインターホンに起こされた。しぶしぶ扉を開けると、「ちょっといい?」と言いながら、大家のおばさんが返事も待たずに上がりこんできた。

「けさ不動産屋から電話があってね、今すぐ家賃上げたほうがいいってしつこく言うもんだから」

何が何やらわからず呆然としていると、大家さんはお構いなしに続けた。

「ほらここ、いちおう最上階だから」

ますます意味がわからない。

「いや最上階っていったって、平屋に最上階も何もないじゃないですか。そりゃ一番上かもしれないけど、一番下でもあるわけですし」

「まあそれはそうなんだけどさ」大家さんは僕の手を取って窓際へ連れていくと、そそくさとカーテンを開けて言った。「ここ、いつの間にか十階になってんのよ」

僕は眼下に広がる街並みを見て驚愕した。そこにはたしかに、「最上階」という響きがふさわしい光景が広がっていた。もちろん陽当たりも最高だ。

「え? じゃあ十階建てってことですか…?」

「それが違うのよ。ここ十階しかないの。一階も五階も九階もなんもなし。だから平屋っちゃあ平屋なんだけど」

いつの間にかできていた階段を二人で降り、地上からこのアパートを眺めてみると、そこには圧倒的な土壁が石垣のように九階相当の高さまでそそり立ち、その上に僕の部屋のある十階だけが、居住空間としてちょこなんと載っかっているのだった。

「他の部屋の人たちは、納得してるんですか?」

「それがあと三部屋は、すっかりもぬけの殻なのよ。みんな家賃の払いもいい人たちだったのに」

僕はなんだか腑に落ちないまま、新たな賃貸契約書に判を捺し、エンドレスとも思われる十階までの階段を上がって部屋へ戻った。判子を押す際、契約書にエレベーターの設置条項をつけ加えてもらったのは正解だったと、改めて痛感しつつ。

自室に入る際、隣室との間に昨晩発見した地下への扉を探したが、そんなものはまったくどこにも見当たらなかった。夜中に起きたためか不意に起こされたためか、僕はまだまだ寝足りない気分だったので、もう一度ふとんに入った。

そして夢を観た。夢の中には、例の「眠れる盛り土美女」が出てきて、女はそこで初めて目を開いた。目を開けた女は、さらに美しかった。そして僕はそこで初めて、女と話すことができた。相変わらずスコップで土を盛りながら、女は言った。

「この土は、わたしの中から出たものだから」

そういえば女は、昨日に比べてひどく痩せているように見えた。僕はそれでも充分に美しい女の姿を、しばしうっとりと眺めていた。その時。

「ドーン!」という爆音と衝撃により、僕は目が覚めた。そして大空から墜ちてゆくような、全身の血液がすべて逆流するような最大級の浮遊感に襲われた。

まるでこれも夢の中の出来事のようだったが、僕が墜ちはじめたのが「ドーン!」という音を聴いたあと、つまり目が覚めたあとであることに間違いはなかった。十階の床が抜けると、その先にあるのは土ではなく広大な空間であった。

すでにコンクリートの地面が目前に迫っている。


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