泣きながら一気に書きました

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短篇小説「何も言えなかった…夏」

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今年も冬彦の夏は、何も言えないうちに終わってしまったのだった。

大学のサークル仲間と繰り広げたBBQ…口に放り込んだ安い肉をいっこうに噛み切れぬまま、何も言えず終わった。

高校時代の友人としこたま買い込んで楽しんだ花火…口にくわえたロケット花火が不発のまま、何も言えず終わった。

気になるあの娘を夏祭りに誘う電話口…もらった番号を何度確認してもジャパネットに掛かり、何も言えず終わった。

遠くから焼き芋の売り文句が聞こえてくる。季節はすっかりもう秋だ…と思ってよく聞いたら廃品回収の声。無料無料と喧伝しつつ、いざ中古のビデオデッキを持っていくと「あ、これは古い型なんで二千円いただきますね」と言ってくるあこぎなやつだ。何も言えずビデオデッキと千円札二枚を渡した。

そうさ冬彦の夏は、何も言えないままに終わってしまったんだ。

勇気を振りしぼって行った初めての夏フェスでひとり…どのアーティストのどの曲もサビの歌詞すらうろ覚えで、何も言えず終わった。

公園のベンチで本を読んでいたら、砂場でひとり泣いている男の子…迷子かと思って声をかけようとしたら、母親らしき人物が全力疾走で少年をかっさらって行き、何も言えず終わった。

滅多に掛かってこない電話が鳴ったと思ったら無言電話…こうなったらこちらも、と意気込んで無言合戦を続けていたら、そのまま寝てしまい何も言えず終わった。

こうして冬彦の夏は、何も言えないままに終わっていった。夏さえ終われば何かが言えるのかといえば、無論そうとも限らない。すでに漂いはじめている秋の終わりを予感して、冬彦の頬はますますこわばってゆく。

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