泣きながら一気に書きました

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人の心がわかりすぎるということ~『播磨灘物語』/司馬遼太郎

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昨年の大河ドラマ軍師官兵衛』を観るにあたり、僕は黒田官兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読み返していた。学生時代に読んだときよりも、遥かに言葉が染み渡ってくる。名作の持つ意味は、読む側の経験や成長によって如実に変化する。だから読書において「再読」というのは、欠かせない手順である。

「洞察力の人」黒田官兵衛を「洞察力の人」司馬遼太郎が描いたとき、そこからは人間の本質が見事に浮かび上がってくる。僕は『播磨灘物語』を読みながら、人間を、人の世を恐ろしく的確に言い表すフレーズの数々を、メモに記した。ここにその一部を紹介したい。必ずや心に刺さるフレーズがあると思う。

《人の心がわかりすぎるほどにわかるというのは、官兵衛のうまれつきの長技であったかもしれない。この資質は官兵衛の生涯を決定したほどに重要なものであったが、しかしわかりすぎるということが常に官兵衛を利したわけではなく、一面官兵衛の人間と生涯を小さくしてしまう役割もはたしたかもしれなかった》(司馬遼太郎播磨灘物語』)

いろんな人の心がわかりすぎると、全方位的に気を遣わなければならなくなり、思い切って動けなくなる。世の中に真の意味での「Win-Winの関係」などあり得ず、その裏には必ず「Loser」がいる。長所と短所は同じ箇所の裏返しだとよく言われるが、まさに。しかしだからといって、人の心がわからない人間になりたいとは、微塵も思わない。

《官兵衛は、自分自身に対してつめたい男だった。これが官兵衛の生涯にふしぎな魅力をもたせる色調になっているが、ときにはかれの欠点にもなった。かれほど自分自身が見えた男はなく、反面、見えるだけに自分の寸法を知ってしまうところがあった》(同上)

客観性の罠、というものがある。官兵衛は他人の心だけでなく、自分自身についても、客観的にわかりすぎていた。しかし「わかる」ことが、「わからない」ことより強いとは限らない。だからこそ、晩年の官兵衛が、関ヶ原の戦いの裏で大博打に出たという冒険は胸を打つ。彼は人生の最期に一度だけ、おそらくは客観性を捨てた。

《物を考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが、割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる》(同上)

何かについて考える以前に、その「何か」を感受性によって的確に捕まえなければ始まらない。というところまではわかるが、「そのほうが誤りがすくない」というのはどういうことか。ここはまだ自分の理解が及んでいない。この先、いつかわかる日が来るのかもしれない。

《理屈などというものは単独で存在するものでなく、感情の裏打ちがあってはじめて現実化する。というより、理屈など、感情によってときに白から黒へでも変化するものに相違ない》(同上)

歴史上、正しい理屈を持ったほうが負けることは珍しくない。関ヶ原においても、理屈としては石田三成側が正しいとする向きは少なくないだろう。しかし感情というのは本当に御しがたい。それが他人のものとなればなおさらである。

むしろ一般的な仕事においては、「感情を理屈で裏打ちする」ほうを求められることが多いように思うが、「理屈を感情で裏打ちする」とは、いったいどのような状態を指すのか。そもそも「理屈」よりも遥かに不安定な「感情」によって、全体に安定をもたらす「裏打ち」など可能なのか。しかし人は皆、最終的な感情の落ち着きどころを求めて理屈を欲しているようにも見える。

《官兵衛はなるほど生涯、時代の点景にすぎなかったが、しかしその意味でえもいえぬおかしみを感じさせる点、街角で別れたあとも余韻ののこる感じの存在である。友人にもつなら、こういう男を持ちたい》(同上 あとがき)

官兵衛にはその知謀あふれる実績ゆえ、やや後ろ暗い「策士」のイメージがつきまとう。しかし司馬遼太郎はこの男の生涯を、こんな意外な言葉で締めくくっている。彼は「面の皮が乾いている」という表現を最大限の褒め言葉として使用することがあるが、官兵衛もまさに、そんな人であったのかもしれない。

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