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悪戯短篇小説「賃走少年」

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拓朗は少年で、少年は拓朗だった。テレビのニュースを観て犯罪に憧れた拓朗少年は、家の前でアイドリング中の見知らぬ車の助手席に乗り込むと、運転手にナイフを突きつけて言った。

「おい、東京駅まで行け! 言う通りにしろ!」

不意の乗客に運転手は、思いのほか慣れた口調で言った。

「あ、もちろん言う通りにしますよ。これ、見ての通りタクシーですから」

拓朗が影響を受けたニュースとは、バスジャック事件であった。本来は別の目的地に向かっているはずのものを、自分の思い通りの場所に向かわせる。こんなに格好いいことがあるだろうか。拓朗はそう思って、決死の行動に踏み切ったのだった。ところが運転手は、すんなり言う通りに連れていってくれるという。そんな夢みたいなことがあるはずがない。少年はタクシーというものに、生まれて初めて乗車していた。

「そんなはずはない。お前はどこか別のところへ行こうとしてたんだろう? 東京駅へなど、行きたいはずがない!」

「別に行きたかないですよ。でも行きますよ、仕事なんで。タクシーなんで」

運転手の言葉は、少年にとってあまりに衝撃的だった。「行きたくない場所へ、行く」そんな理不尽なことが、あって良いのだろうか。僕ならば、絶対にそんなことはしない。なぜならば、行きたくない場所へは、行きたくないからだ!

「嘘をつけ! 本当は別に行きたいところがあるのに、僕のことが、このナイフが怖いから、僕の言う通りに行くってだけだろう。お前は他ならぬ僕の指示だからこそ、そしてこのナイフの力によって、これから行きたくもない場所へと行くんだ!」

拓朗は運転手にというよりも、自分自身に言い聞かせるようにそう言った。しかしさらに運転手は、少年が驚くべきことを口にした。

「行きたいところなんて、あるわけないじゃないですか。仕事中ですから。それにナイフ突きつけられなくても、他の人の指示でもなんでも、どこへだって行きますよ。タクシーなんで」

拓朗は、ついに何もかもがわからなくなってしまった。「自分が行きたくもない場所に、誰からの指示であろうと行く」そんな無茶苦茶なことが、許されるのだろうか。この男には、ひょっとして自分自身というものが、すっかり欠如しているのではないか。

拓朗はいつも両親から、「お前のやりたいことをやれ。それがなんであろうと、私たちは応援してやる」と言われていた。しかしどうだ。世の中にはこの運転手のように、自分の行きたくもない場所に、平気で行こうという人間がいるのだ。そんなことでは、この男のご両親だって、応援するのが難しいではないか。

これが噂に聞いた「大人」というものなのか? 拓朗はすっかりやりきれない気持ちで、持っていたナイフを助手席の窓から投げ捨てた。別にナイフなど突きつけていなくとも、この大人というやつは、完全に僕の言うことを聞いてくれるらしいからだ。

景色を楽しむまでもなく、身近な大人たちのことをあれこれと考えているうちに、車は東京駅前のロータリーへと到着した。拓朗は東京駅に用事など微塵もないが、自分がそう指示したのだから、やはりここで降りなければならないと思った。拓朗が助手席のドアを開けようとすると、運転手の口から彼がまったく予想だにしなかった言葉が、これまでになくドスの利いた声で発せられた。

「4,510円になります」

少年は、すっかり狐につままれた気分であった。彼はお金など、1円も所持してはいなかった。そもそも商売ならば値札をつけておくなどして、先に金額を告げるのが筋ではないか。それを目的地に到着してから言い出すなど、もはや詐欺行為ではないか。乗せ乗せ詐欺ではないか。バスジャック犯が料金を払ったなんて話、聞いたことがないぞ。

しかし僕は、大人を屈服させるための唯一の武器であるナイフを、すでに捨ててしまっている。もしかすると「ナイフを突きつけられなくても行く」と運転手が言っていたのも、僕にナイフを捨てさせるための罠だったのかもしれない。ちくしょう、これが大人ってやつか。いや、タクシーってやつだ。

無一文の拓朗は運転手の指示通り、助手席に乗ったまま自宅へと折り返すと、両親が運転手に頭を下げて1万円札を支払い、拓朗の今年分のお年玉は露と消えた。少年は将来タクシー運転手になることを心に誓った。

60年後に全東京都民を乗せ尽くすことになるカリスマタクシー運転手は、このようにして誕生した。

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