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投票用紙の思いがけずツルッとした書き心地~18歳選挙権から考える民主主義のリアル

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こたびの参院選より、いよいよ選挙権が18歳から与えられる。これは大変なことになった。何しろ18歳といえば若い。こう書かれてムカついた18歳がいるとしたら、それこそが若さだ。「若い」と言われて怒るのが子供で、喜ぶのが大人である。僕も18歳のころは洟たれ小僧だった。その時期ちょうど風邪をひいていたのだと思う。

国の行く末を決める選挙である。ここはやはり、選ぶ側も選ばれる側も、「立派な大人」であってほしいと誰もが願っているはずだ。ではいったいどんな人間が、「選挙権を与えるに足る立派な大人」だというのか? これはきっと誰にもわからない。わからないからこそ、国はとりあえず年齢だけで選挙権のある/なしを区切っている。犯罪者とそうでない人を事前に見分けることが思いのほか困難であるように、選挙権を与えていい人と与えちゃダメな人を選別することは難しい。犯人が逮捕されるとご近所から必ず、「いつも挨拶してくれる、ちゃんとした人だったけどねぇ」というまさかの証言が出てくるものだ。

そもそもが、「しっかりした」「立派な」人というのは、いったいどういう人のことなのか? 「ちゃんと働いて自立している人」「偏差値の高い学校を出ている人」「結婚して子供がいる人」「自分の意見を持っている人」――様々な基準があるだろうが、つい先日も、偏差値の高い大学を出て、何度も別れてはいるが家族を持ち、自分の意見を世間に表明し続け、もちろんちゃんと働いて自立している立派な都知事が、「ズルのレベルが幼稚だ」と日本中から叩かれて、実質的に引きずり降ろされたばかりである。そういえばその前の都知事も、カバンに札束が入る入らないの寸劇を繰り広げて辞めていった立派な人だった。

そもそもついでにもひとつそもそも論を言うと、そもそも選挙によって実現される民主主義とは、むしろ「立派な人」の力を奪うために登場した制度なのではないか。民主主義成立以前の段階において、独裁政治を行ってきた為政者たちは、少なくとも何らかの意味では、民衆にとって「立派な人」であったはずなのだ。そしてその「立派な人」を支えてトップに押し上げるのもまた、官僚や町の有力者といった「立派な人」たちであった。

つまり、政治に明るくない一般大衆は、自分たちよりも「立派な人」たちが選んだ「King of 立派な人」ならば、自らの運命を託すに足ると考えた。無知な自分たちが間違った選択肢を選んでしまう危険に比べれば、「立派な人」にすべてを任せたほうが安心であるはずだ、と。

しかし結果はご存じのとおり、「立派な人」に任せていたら、それぞれの国が大変なことになった。どういうわけか「立派な人」も、トップに立つとすぐに権力を振りかざして民衆を虐めだし、すっかり「立派な人」ではなくなってしまうようなのだ。ちなみに英語で「ripper」といえば「切り裂き殺人鬼」を意味する。関係ないね(柴田恭兵)。

これではいけない、もうこれ以上「立派な人」たちだけに国を任せておくわけにはいかない。そう考えた結果、民衆は「立派じゃない人」もみんな、国政に関わったほうが良いという結論に至った。無知であろうと立派でなかろうと、全員参加したほうが安全だと考えた。それが実際のところ民主主義というものの、本質なのではないか。

だから無知でいいと言っているわけでも、いっそ3歳児に投票権を与えてもいいと言っているわけでもない(投票権に拙い字で「パパ」と書いてあるのも悪くないが)。イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票みたいに、全員参加が迷走の予感を漂わせることもある。

ただ間違いなく言えるのは、民主主義というものが、「立派な人」だけが「立派な人」を選ぶためのシステムではないということだ。そして自分が大人になってみるとわかるが、大人たちは、思ったほどみんながみんな立派な人間であるわけではなく、昔は立派だったけど今は立派じゃないとか、やっぱり一生立派にはなれないだろうなとか、そのほうがお金が儲かりそうだから便宜上立派なフリしてるだけとか、結構いろんな段階にある人が等しく選挙権を持っている。

だから18歳19歳の若者も、臆さず気負わず面倒がらずに選挙へ行ったほうがいいよと、老婆心ながらおすすめしておく。そこで自分が投じた一票の「重さ」と「軽さ」を同時に感じることは、民主主義の「可能性」と「限界」をリアルに体感するということでもある。まずは投票用紙のあの異様にツルッとした書き心地くらいしか、記憶に残らないとしても。

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